そのストロングな経営スタイルから一部では「伝説」として語り継がれる朝倉軌道。今回はそのほんの一部に残る唯一の軌道跡を探索しました。

専用軌道跡だけ往復しても面白くないので、西鉄天神大牟田線の朝倉街道駅で下車し、二日市まで朝倉街道を歩くことにします。

駅前の踏切。天神大牟田線(当時は九州鉄道)のこの区間は1924(大正13)年に開業しており、街道上の朝倉軌道は現役で、この踏切で軌道と西鉄が平面交差していました。軌道は元々この周辺に「石崎」という駅を置いていたようですが、天神大牟田線の開業を機に?移転し改称したようで、当時は乗換駅として案内されていたようです。
駅前に西鉄の「朝倉街道バスセンター」があります。軌道の朝倉街道駅はこのあたりに位置していたと考えられています。
40番系統(甘木幹線)のバスのりば。この路線は朝倉軌道の廃止以前から並行していたバス路線であり、九州乗合自動車、東福岡交通が運行していた路線を西鉄が引き継ぎ、現在もJR二日市~朝倉街道~甘木~杷木と、朝倉軌道の廃線跡と全く同じルートで運行されています。
(西鉄バス 9292号車 久留米200か 13-52 日デ KL-UA452MAN(2005年式))
バスセンターの裏側に車両が待機していました。
バスセンターから針摺峠・甘木方面を眺めます。道幅の割に交通量は多く、現在でも重要な交通路であることが窺えます。
二日市方面へ街道を歩きます。
当然朝倉軌道に関する痕跡はありません。当時より道路幅も拡幅されています。道はこの先で県道77号線と合流します。合流した先も県道112号線ですが、福岡南バイパスが完成するまでは国道3号線でした。

石崎バス停。もう少し進んだ先に朝倉軌道は「野添」という駅を設けていたようですが、他の駅以上に資料が無く、起点からのキロ数でのみその位置を推察することが出来ます。ちなみにこの記事を執筆している今現在では、写真左方向に大きな筑紫野市役所の新庁舎が建設され、バス停名も「筑紫野市役所前」に変更、横にある木造住宅も建て替えらえていて、ストリートビューを使って撮影場所を確認した時に少し困惑してしまいました。探索から執筆までたった3年ほどのブランクなのですが…恐ろしいですね。
旭町交差点までやってきました。この交差点左奥、ピンク色の建物の裏手に細長い路地があり、これが目的の専用軌道跡となります。
ちなみに開業当初はこのまま街道上を真っすぐ進んだ先に二日市駅を設けていたようですが、乗り換えの便を図るためにどこかしらのタイミングで専用軌道を敷設し、国鉄二日市駅前に乗り入れていたようです。
正面から路盤跡を眺めます。不自然な白線が表す道幅と、街道へ直交しない角度が路盤跡であることを教えてくれます。

1948(昭和23)年の航空写真で確認します。廃線から8年ほど経った様子ですが、軌道跡ははっきりと見えています。
早速歩いて行きます。
単線にしても普通鉄道の割には少し狭めに感じるあたりが軽便軌道らしさなのでしょうか。ちなみに朝倉軌道の軌間914mm(3フィート)はほぼ九州の馬車鉄道や軌道でのみ採用された、日本では特殊な軌間です。
80年以上昔であればここを得体の知れないガソリンカーや駒吉機関車がのんびりと走っていたはずです。
専用軌道跡は途中で小川を跨ぎます。
見たところ橋は架け替えられているようで、残念ながら見える範囲に軌道時代の痕跡はありませんでした。
少し左に折れて…
開けた先には鹿児島本線の線路が見えます。
ちょうど普通列車が通り過ぎていきました。
二日市駅の手前には広い土地があり、現在は立体駐車場が建っています。
当時の配線図を調べていないのでなんとも言えませんが、恐らくこの敷地もしくはその周辺が朝倉軌道の二日市駅であったと思われます。二日市駅には無許可の転車台などが設置されていたはずですが、その痕跡はどこにもありませんでした。

これまた怪しげなスペースである駐輪場を抜け…
JRの二日市駅に到着しました。ちなみに探索云々関係なく西鉄と鹿児島本線二日市駅を乗り継ぎたい場合は、朝倉街道駅でも二日市駅同士でもなく、紫駅が最短距離となります。
今回歩いたルートはこのような感じです。今度は西鉄バスに揺られながら終点の甘木・杷木まで向かってみたいなと思いました。
探索終了。
本記事(連載の場合全編)での参考文献など(敬称略):
朝倉軌道
朝倉軌道は、九州鉄道(現:鹿児島本線)と福岡県中央部、秋月の中心地、甘木を結ぶために甘木町の人々を中心に設立された軽便軌道(軌間914mm)です。朝倉街道が県道として整備されるのを機に整備された同路線はそのほぼ全区間を県道上に位置し、1908(明治41)年に二日市~甘木間15.5kmを開業させました。開業後の成績は好調で、博多延伸を試みたり、1922(大正11)年に軌道線を杷木まで延伸させた他、1928(昭和3)年には、経営不振のために無許可休止中であった近隣の中央軌道を無許可で買収し、二日市~依井(新町)~杷木、上田代~依井(新町)の44.9kmを運行する大規模軌道会社となりました。 しかし、この頃から昭和恐慌に加え、旅客需要が軌道線よりも高速なバス(自社でもバスを運行していました)に移るようになっていったこともあり、経営は苦しいものとなってしまいます。それでも朝倉軌道は客車を無許可でガソリンカーに改造し合理化を実現したり、バスに対抗するため無認可で軌道線の運賃を引き下げたりと工夫を重ねることで黒字を貫きます。
最終的には1939(昭和14)年に国鉄甘木線(現:甘木鉄道)が開業するのを機に平行線補償を申請、休止の後翌年に廃線となりましたが、会社の解散まで常に黒字を出し続けました。(このようなアウトローな経営や朝倉軌道の様々な歴史はこちらの方の動画に面白おかしく、そして分かりやすく纏められていますので、是非そちらを視聴してみてください。(今記事でも多く参考にさせて頂きました。)
拠点駅や車庫などを除いて駅舎などの建造物は建設されなかったようで、現在その痕跡はほとんど残っていませんが、起点の二日市駅周辺に存在した専用軌道跡だけは残っているとのことで、今回はそこを訪問してみました。
「がいどう」をゆく

専用軌道跡だけ往復しても面白くないので、西鉄天神大牟田線の朝倉街道駅で下車し、二日市まで朝倉街道を歩くことにします。

駅前の踏切。天神大牟田線(当時は九州鉄道)のこの区間は1924(大正13)年に開業しており、街道上の朝倉軌道は現役で、この踏切で軌道と西鉄が平面交差していました。軌道は元々この周辺に「石崎」という駅を置いていたようですが、天神大牟田線の開業を機に?移転し改称したようで、当時は乗換駅として案内されていたようです。

駅前に西鉄の「朝倉街道バスセンター」があります。軌道の朝倉街道駅はこのあたりに位置していたと考えられています。

40番系統(甘木幹線)のバスのりば。この路線は朝倉軌道の廃止以前から並行していたバス路線であり、九州乗合自動車、東福岡交通が運行していた路線を西鉄が引き継ぎ、現在もJR二日市~朝倉街道~甘木~杷木と、朝倉軌道の廃線跡と全く同じルートで運行されています。

(西鉄バス 9292号車 久留米200か 13-52 日デ KL-UA452MAN(2005年式))
バスセンターの裏側に車両が待機していました。

バスセンターから針摺峠・甘木方面を眺めます。道幅の割に交通量は多く、現在でも重要な交通路であることが窺えます。

二日市方面へ街道を歩きます。

当然朝倉軌道に関する痕跡はありません。当時より道路幅も拡幅されています。道はこの先で県道77号線と合流します。合流した先も県道112号線ですが、福岡南バイパスが完成するまでは国道3号線でした。

石崎バス停。もう少し進んだ先に朝倉軌道は「野添」という駅を設けていたようですが、他の駅以上に資料が無く、起点からのキロ数でのみその位置を推察することが出来ます。ちなみにこの記事を執筆している今現在では、写真左方向に大きな筑紫野市役所の新庁舎が建設され、バス停名も「筑紫野市役所前」に変更、横にある木造住宅も建て替えらえていて、ストリートビューを使って撮影場所を確認した時に少し困惑してしまいました。探索から執筆までたった3年ほどのブランクなのですが…恐ろしいですね。

旭町交差点までやってきました。この交差点左奥、ピンク色の建物の裏手に細長い路地があり、これが目的の専用軌道跡となります。
ちなみに開業当初はこのまま街道上を真っすぐ進んだ先に二日市駅を設けていたようですが、乗り換えの便を図るためにどこかしらのタイミングで専用軌道を敷設し、国鉄二日市駅前に乗り入れていたようです。

正面から路盤跡を眺めます。不自然な白線が表す道幅と、街道へ直交しない角度が路盤跡であることを教えてくれます。

1948(昭和23)年の航空写真で確認します。廃線から8年ほど経った様子ですが、軌道跡ははっきりと見えています。

早速歩いて行きます。

単線にしても普通鉄道の割には少し狭めに感じるあたりが軽便軌道らしさなのでしょうか。ちなみに朝倉軌道の軌間914mm(3フィート)はほぼ九州の馬車鉄道や軌道でのみ採用された、日本では特殊な軌間です。

80年以上昔であればここを得体の知れないガソリンカーや駒吉機関車がのんびりと走っていたはずです。

専用軌道跡は途中で小川を跨ぎます。

見たところ橋は架け替えられているようで、残念ながら見える範囲に軌道時代の痕跡はありませんでした。

少し左に折れて…

開けた先には鹿児島本線の線路が見えます。

ちょうど普通列車が通り過ぎていきました。

二日市駅の手前には広い土地があり、現在は立体駐車場が建っています。

当時の配線図を調べていないのでなんとも言えませんが、恐らくこの敷地もしくはその周辺が朝倉軌道の二日市駅であったと思われます。二日市駅には無許可の転車台などが設置されていたはずですが、その痕跡はどこにもありませんでした。

これまた怪しげなスペースである駐輪場を抜け…


今回歩いたルートはこのような感じです。今度は西鉄バスに揺られながら終点の甘木・杷木まで向かってみたいなと思いました。
探索終了。
本記事(連載の場合全編)での参考文献など(敬称略):
・今尾恵介監修「日本鉄道旅行地図帳」(新潮社)
本記事中(連載の場合全編)で使用した地図・航空写真:
・国土地理院 地理院地図(電子国土web)(加工は筆者によるもの)
・国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス(加工は筆者によるもの)
・国土地理院 地理院地図(電子国土web)(加工は筆者によるもの)
・国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス(加工は筆者によるもの)
写真:特筆事項が無いものは本記事中(連載の場合全編)全て筆者/同行者による撮影
執筆:三島 慶幸
執筆:三島 慶幸
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