銚子電鉄は、房総半島の東端である銚子と、そこから更に先の外川を結ぶ6.4kmの短い鉄道です。駅は10駅あり、譲渡されてきた中古の電車を長年使用しています。また路線は直流600V電化の直接吊架式、沿線には第4種の踏切が存在、閉塞方式は自動閉塞式(銚子~仲ノ町間)、票券閉塞式(仲ノ町~笠上黒生)、スタフ閉塞式(笠上黒生~外川)と設備的にも非常に興味深い鉄道でもあります。かつては昼間も笠上黒生でタブレット交換が見られましたが、現在では大減便によって通常日中に見ることは出来なくなりました。私は2004年と2006年、2008年の3回、銚子電鉄を訪問しており、吊り掛けの単車や「ふるいぎんざせん」(私の初めて好きになった車両が銀座線だったため)、タブレット交換や放置されている旧車両を見て興奮していたことが思い出されます。先日久しぶりに訪問したので、今現在の現有車両を記録してみました。
爽やかな塗色の京王5000。(銚子)
稼働車は昼間1編成、最大で2編成なので単純計算なら1/3の確率で来ますが、比較的新しいからなのか運用に入っていることが多いように感じます。(笠上黒生)
方向幕。波をデザインした「澪つくし号」の表記がまるで国鉄車の方向幕の種別表示のようです。
密着自動連結器に見せかけた自動連結器。種車は自動連結器ですが、他の車両が密自連のため、冗長性を持たせるためにアダプターが取り付けられています。直通運転などで異なる連結器を持つ車両が行き来する私鉄ではこのアダプターを搭載していることは数多くありますが、営業中にも装着しっぱなしというのは珍しい例です。(銚子)
折り返して発車を待つ様子(外川)最近ではコンクリート製の架線柱も増えてきました。(君ヶ浜)
この車両は同僚も各地で走っています。(富士急行線:富士急ハイランド・2013年撮影)
伊予鉄道ではモハ800+サハ850+モハ800の3両編成としてしばらく活躍した後に、サハ850形に新造した貫通型運転台を結合する工事を実施し、全車がクハ850形へ改造されました。
銚子電鉄には2010年に、
デハ2070(1962)+サハ2575(1962/車籍上はデハ121(1928)→デハ2121(1944)→サハ2121(1955)→サハ2575)
→伊予鉄道 モハ822+サハ852→クハ852
→銚子電鉄 モハ2001+クハ2501
デハ2069(1962)+サハ2576(1962/車籍上はデハ122(1928)→デハ2122(1944)→サハ2122(1955)→サハ2576)
→伊予鉄道 モハ823+サハ853→クハ853
→銚子電鉄 モハ2002+クハ2502
の2編成が譲渡されてきました。
銀座線最後の旧型車族の一員として銀座線と方南町支線で活躍した営団地下鉄2000形に、京王重機整備にて営団1500形電車の機器と営団3000系のパンタグラフ、富士急モハ5700(元小田急2200形)の台車の取り付けを行った車両で、当初は日立電鉄に譲渡される予定の車両でした。しかし計画の見直しで譲渡が中止されてしまい、宙に浮いてしまった4両から、2046の車体に2033の運転台を組み合わせたものと、2040の車体に2039の運転台を組み合わせた単車2両を製造。銚子電鉄に送られそれぞれデハ1001、デハ1002として活躍しました。デハ1001は2016年の引退前に銀座線の塗装に復刻された後、松戸市で保存されています。一方デハ1002は1001より1年前の2015年1月に営業運転を終了し、現在は仲ノ町車庫で「事業用車」名目で保存されています。
リバイバルで形式番号を「2040」に変えた時のまま保存…放置されています。ちなみにパンタの無いこちら側が元の顔。この形式から連結器アダプタの装着が始まりました。(仲ノ町車庫)
デキ3と一緒に小さな車庫に居ます。(仲ノ町)
そうそうこの色…と個人的には懐かしくなる銚子電鉄標準塗装(外川)
劣化が激しく、到底直す気配はありません。休車状態ではありますが、いずれはこのまま解体されてしまうのでしょうか。(外川)
貫通扉のある方の顔。銚子電鉄では営業中に使用されなかっため、1000形と共に前面貫通扉は固定されています。(外川)
帝国車両の銘板。この車両に乗っていた頃が懐かしいです。(外川)
草むした側線の奥に放置されています。(笠上黒生)
車両全景。銚子駅で機回しできない関係で仲ノ町~銚子を電車でプッシュプルしていた光景や、もともとこの位置に放置されていたデハ101(ある意味先代の「101」)を思いだしました。(笠上黒生)
しかしこの機関車の価値を知る者によって大切に保管された結果、現在でも車籍を有し、仲ノ町車庫で動態保存されています。(検査期限が切れており、本線走行は不可能)2016年に灰白色に塗り替えられた状態で市川市にある千葉県立現代産業科学館に貸し出されて展示されました。これは更に黒を上塗りするつもりが間に合わなかったからだそうです。
いかにも「サフを吹いた」ような感しかないデキ3の現状。できれば早く色を塗ってあげて欲しいですね…(仲ノ町車庫)
車庫の奥に置かれているこの台車は、1951年に銚子電鉄へやってきたデハ301の台車といわれているものです。デハ301は2000年代には予備車扱いとなり、営業運転から外れたのち、2009年に廃車解体されるまで架線点検車両として使用されました。なお出自自体は、鶴見臨港鉄道が1930年10月23日の鶴見(仮駅)~弁天橋間延伸による電化旅客輸送開始時に用意した10両の新製車モハ100系のうちのモハ105号車→1940(昭和15)年の国有化にともなう改番でモハ110形115号車→鶴見線の昇圧に合わせて撤退 ですが、この台車自体は鶴見時代のものではありません。
デハ301の台車…と言われている出所不明な台車。車体が解体された現在でも台車だけが仲ノ町車庫の仮台車として使用されているそうです。(仲ノ町車庫)
写真:特筆事項が無いものは本記事中(連載の場合全編)全て筆者/同行者による撮影
執筆:三島 慶幸
3000形
少し古い私鉄車両の知識がある方なら見ただけですぐにこの車両の出自が分かるでしょう。この車両は京王電鉄が架線電圧の1,500V昇圧に伴い、1963年から1969年に155両導入した「言わずと知れた名車」である京王5000系列の電車です。元は増結編成として製造された5100系デハ5103 + クハ5854の編成であり、京王での引退後に伊予鉄道に譲渡、700系(モハ713+クハ763)として活躍した車両を、2016年3月26日にデハ3001+クハ3501と命名して導入したものです。現在では引退した澪つくし号(後述)をイメージした塗装で運用されています。爽やかな塗色の京王5000。(銚子)
稼働車は昼間1編成、最大で2編成なので単純計算なら1/3の確率で来ますが、比較的新しいからなのか運用に入っていることが多いように感じます。(笠上黒生)
方向幕。波をデザインした「澪つくし号」の表記がまるで国鉄車の方向幕の種別表示のようです。
密着自動連結器に見せかけた自動連結器。種車は自動連結器ですが、他の車両が密自連のため、冗長性を持たせるためにアダプターが取り付けられています。直通運転などで異なる連結器を持つ車両が行き来する私鉄ではこのアダプターを搭載していることは数多くありますが、営業中にも装着しっぱなしというのは珍しい例です。(銚子)
折り返して発車を待つ様子(外川)
この車両は同僚も各地で走っています。(富士急行線:富士急ハイランド・2013年撮影)
2000形
優しい見た目である「湘南顔」のこの車両も京王→伊予鉄の中古車両で、元は最後の「グリーン車」として活躍した2010系列(デハ2060系、サハ2500系)です。1984年まで京王で活躍し廃車となりましたが、経年25年前後という車齢の若さから、主電動機と電動車の台車についてはほぼ同時期に廃車となった井の頭線1000系のものを使って改軌した上で伊予鉄道へ譲渡され、800系として活躍しました。伊予鉄道ではモハ800+サハ850+モハ800の3両編成としてしばらく活躍した後に、サハ850形に新造した貫通型運転台を結合する工事を実施し、全車がクハ850形へ改造されました。
銚子電鉄には2010年に、
デハ2070(1962)+サハ2575(1962/車籍上はデハ121(1928)→デハ2121(1944)→サハ2121(1955)→サハ2575)
→伊予鉄道 モハ822+サハ852→クハ852
→銚子電鉄 モハ2001+クハ2501
デハ2069(1962)+サハ2576(1962/車籍上はデハ122(1928)→デハ2122(1944)→サハ2122(1955)→サハ2576)
→伊予鉄道 モハ823+サハ853→クハ853
→銚子電鉄 モハ2002+クハ2502
の2編成が譲渡されてきました。
2001編成(デハ2001+クハ2501)
元のグリーン車塗装の2001編成。(仲ノ町車庫)
湘南顔のサイドビュー。形式は違えど台車も京王のグリーン車。(仲ノ町車庫)
デハ2001。歴代の京王の車両でも2番目に好きな車両です。(仲ノ町車庫)
クハ2501。5000系を平たくしたような先頭車改造の顔です。冷房の電源を搭載していますが、変電所容量の関係から銚子・外川の各終点到着時のみしか使えないと言われています。(仲ノ町車庫)
2002編成(デハ2002+クハ2502)
湘南顔の運転台はとても広々な印象。
またこの車両、ドアチャイムが搭載されているのですが、これがまさかの新京成仕様で思わず笑ってしまいました。
クハ2502。この編成は脱線事故→クラウドファウンディングで復活という経緯があります。(仲ノ町)両編成の並び(仲ノ町)
元のグリーン車塗装の2001編成。(仲ノ町車庫)
湘南顔のサイドビュー。形式は違えど台車も京王のグリーン車。(仲ノ町車庫)
デハ2001。歴代の京王の車両でも2番目に好きな車両です。(仲ノ町車庫)
クハ2501。5000系を平たくしたような先頭車改造の顔です。冷房の電源を搭載していますが、変電所容量の関係から銚子・外川の各終点到着時のみしか使えないと言われています。(仲ノ町車庫)
2002編成(デハ2002+クハ2502)
2編成目のこちらは西武の旧色にそっくりな旧・銚子電鉄標準色。(笠上黒生)
夏の増発によって増えた臨時列車に充当されていました。臨時幕。
夏の増発によって増えた臨時列車に充当されていました。臨時幕。
湘南顔の運転台はとても広々な印象。
またこの車両、ドアチャイムが搭載されているのですが、これがまさかの新京成仕様で思わず笑ってしまいました。
クハ2502。この編成は脱線事故→クラウドファウンディングで復活という経緯があります。(仲ノ町)
1000形
銀座線最後の旧型車族の一員として銀座線と方南町支線で活躍した営団地下鉄2000形に、京王重機整備にて営団1500形電車の機器と営団3000系のパンタグラフ、富士急モハ5700(元小田急2200形)の台車の取り付けを行った車両で、当初は日立電鉄に譲渡される予定の車両でした。しかし計画の見直しで譲渡が中止されてしまい、宙に浮いてしまった4両から、2046の車体に2033の運転台を組み合わせたものと、2040の車体に2039の運転台を組み合わせた単車2両を製造。銚子電鉄に送られそれぞれデハ1001、デハ1002として活躍しました。デハ1001は2016年の引退前に銀座線の塗装に復刻された後、松戸市で保存されています。一方デハ1002は1001より1年前の2015年1月に営業運転を終了し、現在は仲ノ町車庫で「事業用車」名目で保存されています。
リバイバルで形式番号を「2040」に変えた時のまま保存…放置されています。ちなみにパンタの無いこちら側が元の顔。この形式から連結器アダプタの装着が始まりました。(仲ノ町車庫)
デキ3と一緒に小さな車庫に居ます。(仲ノ町)
800形
こちらも伊予鉄の車両で、伊予鉄道の郡中線が電化された1950年に帝國車輛でクハ400形405として製造された車両です。11年後にモハ303・304の主電動機を流用し電装化され、モハ106と改番し活躍しました。両運転台改造が1967年に行われ、単行で走れる仕様であった事から1985年に廃車された後に銚子電気鉄道に譲渡。デハ800形801となりました。車体が比較的大きかったため重宝され、長く運用されましたが、2000形に代替され2010年9月に定期運用を離脱しました。現在では休車扱いのまま外川駅の奥に留置され、「京葉東和薬品 銚電昭和ノスタルジー館」として使用されています。そうそうこの色…と個人的には懐かしくなる銚子電鉄標準塗装(外川)
劣化が激しく、到底直す気配はありません。休車状態ではありますが、いずれはこのまま解体されてしまうのでしょうか。(外川)
貫通扉のある方の顔。銚子電鉄では営業中に使用されなかっため、1000形と共に前面貫通扉は固定されています。(外川)
帝国車両の銘板。この車両に乗っていた頃が懐かしいです。(外川)
ュ100形客車 ュ101号
この車両は電車では無く、観光用として1985年に新小岩にある国鉄大宮工場貨車職場でワム80000形貨車のワム183983の改造によって製作されたトロッコ客車です。40人分の腰掛けとテーブルを設置し、床下には、重心を下げるために5t分の死重を吊り下げています。「ユ」は「遊覧」客車のユで、番号の「101」はドラマに登場したデハ101から取られました。同年にNHKで放送された朝の連続テレビ小説『澪つくし』の舞台が銚子である事にちなんで、主演女優の沢口靖子により「澪つくし」号と命名されています。
2006年まで休日や夏休み時期を中心に、通常運転の電車に併結する形で牽引されていましたが、2007年に休車となった以降は一切使用されなくなりました。外川駅に放置されたのちに笠上黒生駅側線に留置されていましたが、状態が悪く、修繕出来ないため2012年3月に廃車となりました。
草むした側線の奥に放置されています。(笠上黒生)
車両全景。銚子駅で機回しできない関係で仲ノ町~銚子を電車でプッシュプルしていた光景や、もともとこの位置に放置されていたデハ101(ある意味先代の「101」)を思いだしました。(笠上黒生)
デキ3
デキ3形電気機関車は、銚子電気鉄道が所有する唯一の電気機関車です。1922年にドイツのアルゲマイネ社で製造された車両で、日本の1,067mm軌間の電気機関車としては、現存最小のものです。ちなみに番号が「3」なのはかつて存在したガソリン動車の続番であるからです。元は山口県宇部の沖ノ山炭坑(現・宇部興産)の専用線で運用されていましたが、その小ささ故の非力さからかすぐに不要となり、1941(昭和16)年に移籍して来ました。稀に客車を牽いた他にはヤマサ醤油の工場へ原料塩などの材料を運んでいたそうですが、1984(昭和59)年の貨物営業廃止に伴い、営業運転から退きました。しかしこの機関車の価値を知る者によって大切に保管された結果、現在でも車籍を有し、仲ノ町車庫で動態保存されています。(検査期限が切れており、本線走行は不可能)2016年に灰白色に塗り替えられた状態で市川市にある千葉県立現代産業科学館に貸し出されて展示されました。これは更に黒を上塗りするつもりが間に合わなかったからだそうです。
いかにも「サフを吹いた」ような感しかないデキ3の現状。できれば早く色を塗ってあげて欲しいですね…(仲ノ町車庫)
デハ301?
デハ301の台車…と言われている出所不明な台車。車体が解体された現在でも台車だけが仲ノ町車庫の仮台車として使用されているそうです。(仲ノ町車庫)
財政的に厳しい銚子電鉄、しかしそれが故に古き良きものが今も残っています。是非応援のつもりで足を運んでみてはいかがでしょうか。
写真:特筆事項が無いものは本記事中(連載の場合全編)全て筆者/同行者による撮影
執筆:三島 慶幸
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