特急の終着駅であり、駅名に「鬼怒川」を冠している鬼怒川温泉・公園のイメージがどうしても強くなりますが、東武鬼怒川線の終点駅はそれより先の新藤原駅です。「新」藤原駅という事は…ということで今回は藤原駅の探索をしてみました。

新藤原駅と藤原駅

 新藤原駅は東武鬼怒川線と野岩鉄道会津鬼怒川線の分界駅で、現在では交通系ICカードの最北対応駅でもあります。東武線は4両編成で野岩線は2両編成での運用となるため、今でも頻繁に連結作業を見ることが出来ます。1919(大正8)年に下野軌道藤原駅として開業もたったの3年で現在地に移転し、新藤原駅に改称されました。こちらも位置の詳細は分かりませんが、現在駅よりも数百メートル手前という情報を元に探してみました。

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鬼怒川温泉の廃墟を後に北上していきます。道路から一段高い所の路盤を6050系の区間快速が通り抜けていきます。
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道中にあった鉄橋。なんの変哲もないガーター橋に見えますが、奥には現橋よりも低い位置に旧橋台のようなものがありました。かつては今とは違う位置を走っていた可能性があります。
(かなり重要な情報なのに写真を撮っていないという…)
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次の駅が見えてきました。
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鬼怒川温泉駅の一つ先の鬼怒川公園駅に到着しました。この駅は開業から変化していませんが、
1944/10/25~1950/9/1と1961/12/1~1962/12/10の二回にわたって休止と再開を繰り返しています。
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すこし古そうなベンチ。明治製菓のこのロゴは明治製菓と明治乳業が統合する2009年以前のもの。個人的にはこっちの方が馴染みがあって好きです。
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ベンチで小休止してから先へ進みます。右手には一線のみ設置されている鬼怒川公園駅の留置線がありますが、鬼怒川公園折り返しの特急が消滅した今、使い道はあるのでしょうか(東武のダイヤは全く分かりません…)。
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重複国道区間を進んでいきます。二つの三桁おにぎりが並んでいます。
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しばらく進むと大量の馬頭観音の碑が立つ場所が現れました。これは「勝善碑並びに馬頭観世音碑群」と呼ばれているものだそうで、小原地区から藤原地区へ向かうこの道沿いの区間にあった「馬捨て場」と呼ばれる馬の死体を荼毘に付す場所での馬の供養碑だそうです。古くからこの街道での物流、人の輸送が盛んであったことが分かります。
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そしてこの碑のある近くが旧:藤原駅と想定される土地です。実際は約100年近く前にたったの3年間駅があっただけで痕跡はあるとは思えないのですが、何となくスペースを感じるような気がします。
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橋がある!もしかしたら藤原駅の遺構関連のものか??
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新藤原方にコンクリ製の橋を発見しました。もしかしたら藤原駅と関係のあるものかもしれないと思い、行ってみる事にしました。

国道121号の旧橋?
施工年:不明
所属・管轄:現在の所有者は不明
使用終了年:?
その他:旧:藤原駅と関連はあるのか?
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枯れ藪を掻き分けながら橋の上へ。国道の交通量は多く、行き交う車から痛い視線を浴びながらの苦行です。(おい)
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藪も恥も掻きながら渡橋して探しましたが、肝心の銘板の類は全てが剥がされており、この橋の正体を掴むことは出来ませんでした。本当に藤原駅に関連するものかもしれませんが、付近の道形から見るにこの街道の旧橋である可能性も十分にあり、ハッキリさせる事はできませんでした。
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そのほかに駅があったと考えられるものとしては、石垣が周囲より低くなっている=路盤が若干低くなている事がありますが、決定的な物とは言えません。
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帰り際に会津鉄道の直通列車のマウントエクスプレスを見送ります。写真のAT-600・650形とキハ8500系は乗ったことがあるのですが、回転型リクライニングで結構設備が良いらしい本来のマウントエクスプレス専用車のAT-700形・AT-750形にも乗ってみたいです。
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↑これ
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新藤原駅のホームが右手に現れ、帰宅用の区間快速が見えてきました。(迫る発車時刻…)
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新藤原駅に到着。これで小佐越駅から始まった鬼怒立岩大滝、藤原の旧駅巡りは終了。歩行距離はおおよそ6.5km。1時間半ほどかかったので相当ちんたら歩いたことになります。

探索終了。