千葉は匝瑳市と旭市の境に位置する小駅、干潟駅。かつてここには航空基地が存在しました。

椿の海に

 干潟という駅名の由来はかつてこの地にあった湖「椿海」から取られていると言われています。九十九里浜にあった「玉の浦」という入り江が、犬吠埼方面(今の屏風ヶ浦など)から削られた砂によって出口を塞がれて形成されたこの湖は、江戸初期の1668(寛文8)年に爆増する江戸の人口と食糧不足を補うために、ここを水源として利用していた周辺の村の反対を押し切り干拓されました。こうして1695(元禄2)年にこの地は5000ha程の「干潟8万石」18ヶ村((春海・米持・秋田・万力・入野・米込・関戸・万歳・八重穂・夏目・幾世・清瀧・大間手・長尾・高生・琴田・鎌数・新町)※現在の旭市、匝瑳市、東庄町)となりました。現在でも田圃を掘削すると海の貝殻が多く出てくるそうです。
 そんな干潟の地に、航空基地が建設されたのは本土防衛や本土決戦を想定した太平洋戦争末期のことでした。海軍香取航空基地(香取飛行場)は1940(昭和15)年ごろから着工され、南東北西方向に1400m、南西北東方向に1500mの滑走路2本が十字に交差した構造の基地として1942(昭和17)年頃に完成しました。1945(昭和20)年の2月には、当基地から本州初の神風特攻隊が出撃したそうです。
 この航空基地建設時に、干潟駅から工事用貨物線が敷かれていたそうなので、今回はその痕跡を探してみました。

滑走路

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干潟駅からの側線は地図上赤色の点線のように基地まで延びていました。黒い点線は滑走路の跡を表したものです。基地の跡は「あさひ鎌数工業団地」となっています。滑走路跡は日清紡ブレーキの自動車テストコースに転用されており、訪問は出来ませんが当時の舗装がそのまま残っているそうです。
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干潟駅舎。駅舎繋がりの余談ですが、2017(平成29)年まで使用していた銚子駅の駅舎は、開業時の駅舎を空襲で失った後に香取航空基地の飛行機格納庫を転用したものだったそうです。
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こちらがその駅舎の写真(長沢幸雄氏撮影)。駅舎はピカピカになりましたが、現在でも職員詰所部分だけはそのまま残っているそうです。
(何度か利用しているはずなのに一切気づかず写真も無いのが悔しい…)
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干潟駅は現在、相対式ホーム2面2線を有していますが、駅舎側が2番線となっており、かつては更に0番線がありました。写真は駅舎側銚子方にある貨物ホーム跡です。
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1971(昭和46)年まで貨物扱いがあったようで、その痕跡といったところなのですが、ちょうど用地が航空基地専用線と被っています。
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貨物ホームの様子。
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空き地があります。
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貨物ホームの先は草むらになっています。
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敷地外から空き地を眺めます。専用線の線路は手前側に分岐してきたいたはずです。
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専用線跡(推定)。
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東総工業高校入口交差点手前で専用線は国道126号線を横切って基地方向へ延びていたはずです。
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偶然のことだろうと思われますが、専用線跡と思われる敷地は更地の売地になっていました。
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専用線跡は針路を北に取ったところで明治川(椿海干拓工事の水抜きのために掘られた人工河川である新川の支流)を渡橋していました。念のため橋台跡などを探してみましたが、残念ながら見つけ出すことは出来ませんでした。
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その先の小さな用水路を跨ぐ場所にも目だった痕跡はありません。
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その先の田んぼでは、専用線跡地と思わしき場所に真っすぐなあぜのようなものが見られました。もしかしたら…かもしれませんが、これもまた「たまたま」かも…
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大型トラックが横並びしているあたりが専用線跡のはずです。
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歩いて来た通りの右手側にあさひ鎌数工業団地の工場が見えてきました。もうこのあたりで専用線は終点、もしくは完全に工場の敷地内で、探索はできなさそうです。
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最後に戦後すぐの航空写真からみた専用線跡です。黒点線の総武本線から赤点線の専用線跡が延びている様子が分かります。

今回はあまり成果を得られないままの帰投となりました。後日調べたところ航空基地関係では匝瑳市春海に航空機用の掩体壕が2基、旭市鎌数に大型航空機用の掩体壕があるそうで、今度訪問する機会があればそちらにも行ってみたいです。


探索終了。