現在では終点の上野駅のみが営業する京成上野トンネル。坑内に博物館動物園という廃駅がある事は有名ですが、かつてはトンネルの出口付近にももう一つ駅が存在しました。

幻の「寛永寺坂」駅

 1933(昭和8)年12月10日、京成が日暮里 - 上野公園(現京成上野)間の地下線を完成させた際、その入口付近にある寛永寺と谷中霊園(当時は谷中墓地)へのアクセスを目的に設けられました。その後太平洋戦争末期の1945(昭和20)年6月10日に運輸省疎開のためトンネルが接収を受けたことに伴い営業を休止。なんと下り線を三線軌条に変更し、谷中墓地近くの斜面に設けられた連絡線から国鉄の優等客車が疎開されました。使われなかった上り線のホームではネジを製造していたという逸話も残っています。
 終戦後は疎開した客車の搬出を行うため、単線で運転したため、当駅の営業再開は全体から一か月遅れた1946(昭和21)年11月1日だったのですが、終戦すぐで荒廃した鉄道車両の整備状況では急勾配上にある当駅からの発着が困難で、運行上の危険があるからと1947(昭和22)年8月21日に休止となり、利用客も見込めなかったことから1953(昭和28)年2月23日付で廃止になりました。跡地は京成がそのまま保有し、駅舎と駅前広場は駅廃止直後の1953年4月より倉庫会社に貸し出されました。その中で「駅舎建物の取り壊しを禁ずる」という賃貸条件があったと言われており、駅舎が奇跡的に残っていましたが、2015年末で退去、60年以上の月日を過ごした駅舎はその後解体されてしまいました。ちなみに解体前の2016年2月に毎日新聞社が駅舎内部の取材を行っており、貴重な写真を見ることが出来ます。

探索

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博物館動物園駅跡からしばらく歩くと言問通りにぶつかるのでここを右折します。
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そこから目と鼻の先にある「桜木二丁目交差点」がもう目的地です。
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谷中墓地の入り口に面している静かな交差点です。
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これが今の寛永寺坂駅舎跡です。解体された跡地にはコンビニエンスストアが出来ています。
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跡形もなくなってしまった訳ですが、内部に入るとコンビニにしては妙な正方形に近い間取りになっており、駅舎であった息吹を感じる事が出来ました。(行ってみると分かると思います。)
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もはや無駄な広さがあると言ってもいい店内を生かしてか、簡易イートインコーナーがあったので、店内でペットボトルのお茶を購入してから事前に上野で買っていたうさぎやの美味しいどら焼きで一服。かつての駅構内で食べていると妄想を膨らませました。
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店外に出ると、足元から電車の通過する音と振動が伝わって来ました。
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店の裏手に回ってみると…
こ、この膨らみは!!!!!!!
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地上の駅舎から地下のホームまでの連絡通路がある事によって出来ている道の膨らみがなんとそのままそのまま残っていました。このことより解体されても地下部分は残っているという可能性が高いと考えられ、一人で興奮していました。
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そしてさらに、元駅舎のそばに残っていた「神武天皇即位紀元2600年記念碑」はそのまま大切に残されていました。皇紀2600年記念は戦時中の1940年の行事であるため、記念碑の表面には「國威宣揚」と彫られています。とても戦時的な内容からして撤去されかねない物とも言えますが、駅の廃止後奇跡的に手を加えられずに一緒に残ったものを(むしろ戦争関連の遺跡として)保存したのはもはや解体工事者の英断とも言えるでしょう。
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後方には国旗を掲揚できるようになっています。ボルトが交換されていて使えそうに見えますが、国旗は掲揚されていませんでした…(訪問日は祝日)
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コンビニの敷地内にあります。戦争関連とも言える碑である事と、寛永寺坂駅の在った事を伝える「生き証人」としても貴重なので末永く守ってほしいなと思います。
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駅舎周辺を見終え、谷中墓地の方へ向かいます。
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丁度この御隠殿坂がある前後あたりに、前述の国鉄線と京成線の渡し線があったと推測されます。
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路地を少し入ればトンネル坑口を眺める事ができます。入口に掲げられている銘板は御影石4枚を並べたもので、その外側も同じ石で縁取りがしてあります。これは京成の創立者の一人である本多貞次郎による書で「東臺門」と彫られており、左端に縦書きで昭和八年の日付と署名があります。 
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日暮里へ行くため谷中墓地へ向かい、探索は終了です。

探索終了。

 解体される前、訪問した時に駅舎の写真を撮り忘れていたのですが、閲覧者の方から写真を提供して頂きました。本当にありがとうございます。この場を借りて御礼申し上げます。
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解体直前の貴重な姿。駅舎は本当にそのまま残っていました。(写真提供:ゆどの氏)
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倉庫代わりになっていただけあって住所銘板も貼られていました。(撮影:ゆどの氏)
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解体工事の詳細が分かります。概要では地下は無い事になっており、やはり探索で発見した地下通路はそのままではと推測できます。(写真提供:ゆどの氏)


写真:特筆事項が無いものは全て筆者/同行者による撮影
執筆:三島 慶幸