今回は長めのレポートになると思いますが、割と真面目に調べて来ましたので、少しは良い記事になってくれると思います。
京成白鬚線
開通当時の京成電鉄は押上駅が終点であり、都心方面への進出ルートを必死で模索していました。ライバル会社の東武鉄道には浅草への延伸が認められるも、京成にはなかなか認められなかったこともあり、焦った京成は「京成疑獄事件」という贈賄事件を引き起こし、社長が逮捕されるという事件を起こしてしまいます。そこで止むを得ず、当時同じ東京川崎財閥の影響下にあった王子電気軌道(現在の都電荒川線)との直通でルート確保を目指しました。当時の京成は王子電軌と同じ馬車軌であったため、直通は容易だったので、路線を三ノ輪橋まで延長し、相互直通することを目論みました。その延伸第一期として1928(昭和3)年4月7日に向島駅〜白鬚駅を開業させたものが「京成白鬚線」です。
しかしその後、京成は上野〜筑波山までの免許を保有していた筑波高速度電気鉄道を吸収し、1933年に上野公園駅〜青砥駅の新線を開業させたため、都心乗り入れの橋渡し役になるはずであった白鬚線は存在意義を失ってしまいました。さらに自治体から平面交差していた道路の都市計画による立体交差を義務付けられたことも重なり、開業からわずか8年、1936(昭和11年)3月1日付で全線が廃止になりました。京成は廃線敷をバス専用道路に改築する計画を当局に提出しましたが、実現することなく宅地として売却されたため、痕跡は非常に分かりづらいものとなってしまっています。
路線概要
路線距離(営業キロ):1.4km
軌間:1372mm(馬車軌)
駅:向島、長浦、玉ノ井(京成玉ノ井)、白鬚
複線区間:全線複線(後年単線化説あり)
電化区間:全線電化(直流600V)
列車本数:ほぼ16分間隔で運転(1934年9月15日改正当時)
所要時間:全線4・5分
※向島駅に白鬚線専用ホームが作られ、線内折り返しでの運転が中心。その後単線化され、晩年は単行電車が終日往復。
※向島駅の配線は押上側から直通可能な分岐であったとされる。
ここにはもともと「橋場の渡し」という渡船場があり、伊勢物語の「東下り」で主人公(在原業平)が有名な「言問」の歌を詠んだとされる場所だそうで…
昼下がりの陽気、少し昼寝をしました。
白鬚から進む
これって…ひょっとしたら改札の柵あたりではないでしょうか…
まずこんなフェンスの奥まったところににこれを設置する必要性がありませんし、朽ちている見た目とは裏腹に地面にがっちり固定されていました。違うものの可能性はありますが、鉄道の痕跡をひょっとしたら見つけられたのではと興奮。
右の建物が奥まで綺麗に並んで行っているのが分かります。丁度このカメラ視点が路盤上というのに「完全一致」しています。廃止70年。戦争で焼け野原になっても、このような痕跡がある事に興奮してしまいました。
地点④で再び線路とぶつかります。丁度ぶつかったあたりで急に道が広くなっています。痕跡はないと言われていましたが、地形に限れば痕跡だらけです。
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