「幻の鉄道」が遺したさらなる「幻」。

未成区間の探索

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 前回、光明電気鉄道最後の廃線区間を探索しました。ここからはいよいよ未成区間の探索へと進みます。この先船明までの未成線は一部記録によると途中に「山東」という駅が置かれており、その山東駅までは送電設備を除いた地上施設をほぼ完成させている状態にあったそうです。また残りの山東~船明間路盤の造成は行われたとのこと。実はこの記述は廃線探索趣味の先駆書でありもはや「聖書(バイブル)」と言ってもいい名著「鉄道廃線跡を歩く」の記述とは若干異なります。光明電気鉄道は「鉄道廃線跡を歩くⅡ」に記載されているのですが、そこには「未開業区間ではトンネルのみが完成した」と記されています。
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そこで古い航空写真を確認してみると…
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途中まで路盤がクッキリと映っていました。写真から見ると秋葉街道(現・国道152号線)とラインが交差するあたりまでが顕著に現れています。…という事はこの路盤が潰えるあたりが山東駅跡なのでしょうか。早速向かってみます。
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必ずしも正確には落とし込めてはいませんが、現在の地図と航空写真をこのように照らし合わせながら進んでいきます。
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…意気揚々と出発し、周辺を色々と物色してみたのですが、結局二俣川(地図上で未成線が渡っている川)の川岸までやってきても残念ながら痕跡を探し出すことが出来ませんでした。区画整理も進んでいる事と、なにより未成状態で終わっていることが鉄路の残り香を消し去っているようです。
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川を渡った先には路盤跡とおおむね一致する道路が現れましたが、必ずしも路盤跡とは言い難い様子でした。(というより実地では正直確証の持てそうな位置を探せませんでした…)
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川を渡ってほどなく、秋葉街道が姿を見せます。
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私の山東駅擬定地はこのあたりです。駅の立地という観点から、需要を見込むのであれば街道とぶつかる場所の近くに造るはずだろうということから選定しています。
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秋葉街道。この周辺のどこかで光明電鉄の予定線と道が交差していたはずです。
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結局最後まで痕跡は見出せず、路盤が建設されていたとしてもある意味では「未開業区間ではトンネルのみが完成した」という鉄歩の記述が正しかったのかもしれません。
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気を取り直して探索を続けます。周辺に痕跡が無くとも「トンネルのみが完成した」のであれば、そのトンネルを狙いに行くのは当然のことです。そんな訳でそのまま北上、トンネルがあるという「大谷」という場所を目指して進んでいきます。
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目の前に山が見えてきました。未成線はこのまま真っすぐ突っ込んで山向かいの船明に抜けているはずなので、トンネルがあるのは間違いなくこの山…!
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細い一本道が山の方に伸びていきます。ひょっとしたらこの道こそ路盤跡かもしれません。
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さて、「大谷」の山林の入り口にやって来ました。矢印で遊歩道と書かれている方向へ抜ければ船明に出られるようですが、それではトンネルを見つけることなくゴールしてしまいます。
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そこであえて左の横道を選択。隧道の坑口を探し求めて進みますが、前後の路盤が皆目見当もつかないため本当に見つけられるかどんどん自信が無くなっていきます。
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トンネルがあるであろう山林の方を眺めます。そう簡単には見つけられ…
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あれ!?
林の方にいかにも年季の入ったコンクリ壁を見つけたので、大慌てでその壁まで向かい、枝葉をざくざくと掻き分けてみます。すると…
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トンネル出てキター!!!!!
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二俣線に転用された伊折トンネルと神田トンネル、そして前編で探索した阿蔵トンネル、これらと同じ意匠である坑口が山林に埋まっていました。坑門の笠石からアーチまでの上の一部分と横にあったのであろう掘割りの擁壁の一部が顔を出しているだけで、残りは完全に埋め戻されてしまったようですが、未成トンネルの山東側坑口の位置を特定することが出来ました。

唯一痕跡の隧道から終点の地へ

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続いて先ほどのトンネルの反対側、船明側坑口の捜索へ移ります。山林の入り口まで戻り、先ほどの矢印で遊歩道と書かれている方向へ進みますが、本当に遊歩道なの?と思ってしまう程の急な勾配に苦しめられました。それでもこうして峠を登り切り、切通しを進んでいきます。
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登った先には再び看板が。真っすぐ下ればゴールの船明に着きそうです。あとはトンネルの反対側を探すだけ、先ほどと同じように埋められてしまってもおかしくはなさそうですが、谷底に坑口や路盤が見えやしないかと覗きこみながら進みます。
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あ!!!
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全力疾走で山を駆け下り…
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路盤の方向へ曲がり…振り返ると…
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!!!!!!
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坑口現存!
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大谷トンネル(船明側坑口)
施工年:1933(昭和8)年頃?
材質:コンクリート(アーチ部分はコンクリートブロック)
工法:山岳工法
断面形式:不明(電化トンネルなので同時期の1号型断面に類似か?)
全長:およそ300m(推定)
迫石・迫持:コンクリートの意匠有
要石:確認可能か不可か
笠石:
扁額類:
帯石:
ウイング(翼壁):無
インバート(仰拱):無(推定)
所属・管轄:光明電気鉄道→私有?(廃止以降)
使用終了年:未供用
使用終了理由:-
経年:85年・実働0
特筆事項:上部山体崩壊により完全閉塞。通行不可
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かなり劣化が進んでいますが、意匠はやはり他の3本の隧道と同じものです。横の苔むしたコンクリート擁壁も良い雰囲気を出しています。
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洞内の天井にある架線の固定跡。阿蔵トンネルの時と全く同じことを再三言ってしまいますが、これがあるのが正に光明「電鉄」の未成トンネルの証拠です。坑口に土砂が流入して地面の嵩が上がっている分阿蔵トンネルよりもじっくりと観察できます。
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すぐに「出口」の見えている洞内に入洞します。反対側の坑口から計算してざっと300メートル弱はあるはずのトンネルがまるで博物館の電車のカットモデルのようにスパンと切られていました。
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「カット」されている方は本来土被りである山体がまるっと崩れ落ち、残りのトンネル部分を押し潰していました。この先の地中にトンネルの続きが残っているのか、はたまた完全に落盤し消し去られてしまったのかは我々には知る由もありませんが、間違いなく隧道はこの世のものではないようです。
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今にも崩れて来そうで危険ではありましたが、崩れた穴から抜け出てみました。上の杉林の中には遊歩道が見えており、最初に見えた穴は坑口そのものではなくこの崩壊穴であったことが分かりました。
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いつ消えるか分からない残存坑内の様子。
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ここには何らか(電線類か標識類?)の取り付け金具がボロボロになりながら残っていました。
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…鉄道として開業することも無くその生涯を閉じたトンネル。その中で片方の坑門を失い、洞内の大半を地中に消し去られながらもまさに生首だけの状態で終着地・船明に向けて口を開け続ける坑門。その存在にはまるで「自分」がこの場に居たことを後世の誰かに伝えたいという執念のようなものを感じざるを得ませんでした。
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トンネルに別れを告げ、坑口から船明方面を眺めます。右手から先ほど通って来た遊歩道が合流してきており、最終的には一本の道となって船明の平野部へと抜けています。
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大谷トンネルの入り口から地図を引くとこのようになります。
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トンネルから先は完全に区画整理がなされており、路盤を辿ることは出来ませんでした。
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山東周辺で交差した秋葉街道(国道152号線)とトンネルから出てきた路盤跡は合流していきます。
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あっという間に船明に到着しました。光明電気鉄道の終点予定地であるのですが、それを示すものは一切残っていませんでしたし、そもそも着工されていたかも分かりません。

光明電気鉄道、皮肉にもその名前とは裏腹にその存在はどんどん人々からも影に暗く消えていくようですが、それでも電気鉄道へのロマンの欠片を山林に残していました。


探索終了。


本記事(連載の場合全編)での参考文献など(敬称略):
・宮脇俊三「鉄道廃線跡を歩く」(JTBキャンブックス)
本記事中(連載の場合全編)で使用した地図・航空写真:
・国土地理院 地理院地図(電子国土web)(加工は筆者によるもの)
・国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス(加工は筆者によるもの)
写真:特筆事項が無いものは本記事中(連載の場合全編)全て筆者/同行者による撮影
執筆:三島 慶幸