今回の記事は当サイトの現存する記事で最古の域に入るであろう記事、「新京成電鉄 藤崎台支線」の補足記事になります。

乗車してきた電車はN800形の旧塗装。この記事が出ている今現在はもう消滅しています。
踏切から前原駅全体を眺めます。駅の位置や大まかな配置は当時から変わっていません。
旧:3番線(?)ホームがったであろう場所を眺めます。
航空写真を見ると、現在の下り・1番線ホーム側のホームが島式でした。
奥まった駐輪場。ホームの痕跡は在りませんが、ここが3番ホーム(仮)であるはずです。

裏側のホーム跡。確かに幅はある様には見えますが、確実な証拠の類は見出せませんでした。

少し先へと進みます。なにか痕跡はあるでしょうか(丸投げ)
ホームの先端までやってきてしまいました。
新津田沼方。先の変電所で路線は分岐していたので、このあたりでは並走していたと推測されます。が、単線並列のような形であったのか、普通に線路を共用していたのかは判然としません。

念のため上り2番線ホーム側もチェックしてみましたが、こちらはスペースすらありませんでした。やはり下り側が島式であったと考えられます。
夕日の差すホームに戻ると、昭和を感じさせる美しい木製ベンチがありました。
手すりが取り付けられてしまっているのも現役感があって逆に〇ですね…
横にあった島式部分を切り崩しているように見えなくもありませんが、当時はここまでホーム長は無かったと考えられるので気のせい…という事になります。
こうしてみると、右側にホームがあったように見えなくもない…?
ホーム先には懐かしい8両ドア位置目標が残っていました。かなりの駅で8両のスペースは塞がれていますが、ここ前原では今でも立ち入ることが出来ます。
前原駅の旧ホーム
かつての藤崎台支線の記事では「カメラの電池が切れたため写真はありませんが、この後前原駅まで歩き、探索はお開きです。」となっており、前原駅については一切触れられていませんでしたが、藤崎台支線と本線が共存していた時代に分岐駅であった前原駅はかつて2面3線でした。今回はその痕跡が残っていないかを確認しに行きました。
乗車してきた電車はN800形の旧塗装。この記事が出ている今現在はもう消滅しています。

踏切から前原駅全体を眺めます。駅の位置や大まかな配置は当時から変わっていません。

旧:3番線(?)ホームがったであろう場所を眺めます。
航空写真を見ると、現在の下り・1番線ホーム側のホームが島式でした。

奥まった駐輪場。ホームの痕跡は在りませんが、ここが3番ホーム(仮)であるはずです。

裏側のホーム跡。確かに幅はある様には見えますが、確実な証拠の類は見出せませんでした。

少し先へと進みます。なにか痕跡はあるでしょうか(丸投げ)

ホームの先端までやってきてしまいました。

新津田沼方。先の変電所で路線は分岐していたので、このあたりでは並走していたと推測されます。が、単線並列のような形であったのか、普通に線路を共用していたのかは判然としません。

念のため上り2番線ホーム側もチェックしてみましたが、こちらはスペースすらありませんでした。やはり下り側が島式であったと考えられます。

夕日の差すホームに戻ると、昭和を感じさせる美しい木製ベンチがありました。
手すりが取り付けられてしまっているのも現役感があって逆に〇ですね…

横にあった島式部分を切り崩しているように見えなくもありませんが、当時はここまでホーム長は無かったと考えられるので気のせい…という事になります。

こうしてみると、右側にホームがあったように見えなくもない…?

ホーム先には懐かしい8両ドア位置目標が残っていました。かなりの駅で8両のスペースは塞がれていますが、ここ前原では今でも立ち入ることが出来ます。
今回は収穫がほぼないといった記事内容でしたが、一応過去記事の補足&結ということで執筆しました。さらなる情報があれば是非下さい…。
探索終了。
本記事(連載の場合全編)での参考文献など(敬称略):
・今尾恵介監修「日本鉄道旅行地図帳」(新潮社)
・Googleマイマップ「千葉県の廃線・未成線」
・Googleマイマップ「千葉県の廃線・未成線」
写真:特筆事項が無いものは本記事中(連載の場合全編)全て筆者/同行者による撮影
執筆:三島 慶幸
執筆:三島 慶幸
コメント