今では「撮り鉄スポット」としても有名な「湊川橋梁」。内房線の上総湊~竹岡の間にある湊川(ほとんど海なので浦賀水道?)を渡る単線の鉄橋です。

震災で消えた旧橋

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 この区間の開業は1916(大正5)年10月11日なのですが、現橋の完成は1925(大正14)年。開業からの9年間は別の橋が使われていました。それが今回の旧・湊川橋梁です。開業と同時に建設されたこの旧橋がたったの9年でお役御免になってしまったのは1923(大正12)年の関東大震災による河床の上昇が原因でした。関東南部を震源としたこの地震による鉄道施設の被害は、代表的な物として東海道線 根府川駅の列車・駅舎転落事故が挙げられますが、東京湾沿いの内房線(当時:北条線)の被害も深刻であり、湊川橋梁以外にも岩井~富浦間にあった南無谷トンネルでは内部が崩壊するなど(一次仮復旧の後1926年に廃止)の被害がありました。

探索

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降りたのは名前通り最寄り駅の上総湊駅。
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上総湊駅には停車場線が存在します。駅前のヘキサは千葉県独特の表記のタイプ(おそらく旧タイプ)でした。停車場線を表す「(T)」が特徴的な看板です。
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(天羽日東バス 袖ヶ浦200か・505 いすゞ U-LR2332J(1991年式))

駅前には天羽日東バス(現在では日東交通上総湊出張所)の営業所があります。千葉中央バスから鴨川日東バスに移籍し、2013(平成25)年に天羽日東バスに再移籍したジャーニーKで、20年以上のベテラン車両です。
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国道との交差点を右折し、湊川方面へ歩いていきます。
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まずは現在線と旧線区間の分岐部分へ向かおうと思い、湊交差点で右折、県道93号久留里鹿野山湊線を海沿いへ向けて進みます。
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しばらく進むと、旧橋梁への分岐付近の内房線と交差します。(すでに奥に何か見えてるぞ~…)
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この橋は浜ガードと呼ばれているそうです。
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奥に見えていたものの正体はこれ。見て分かる通り旧線の橋台が残っていました。これを「旧:浜ガード」と名付けてみます。

初代:浜ガード(残存は橋台のみ)
施工年:1916年(大正5年)以前←同区間の開業年
属・管轄:日本国有鉄道
使用終了年:1923(大正12)年※1925年?
使用終了理由:湊川橋梁の付け替えの影響
経年:101年・実働7(9?)年
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東京方橋台。
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鴨川方橋台。
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この旧ガードは現在では橋の高さ3メートルを表記した梁が渡されています。この梁は見た感じで当時の物では無いように感じました。
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ガードの梁部分を支えたであろう石が残っていました。
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東京方橋台の先を眺めてみます。旧線の路盤はこのすぐ先で現在線と合流しています。
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今度は反対の鴨川方橋台から先を眺めます。ここから湊川橋梁までは現在線に並行する形で旧線の路盤が残っていますが、当然鉄道用地なので入る事は出来ません。
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付近の路地をうろつき、メインの湊川橋梁までやってきました。
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ここに開業から7年だけ使われた旧線の橋脚がそのまま残されています。

初代:湊川橋梁(残存は橋台のみ)
施工年:1916年(大正5年)以前←同区間の開業年
属・管轄:日本国有鉄道
使用終了年:1923(大正12)年※1925年?
使用終了理由:関東大震災による河床隆起による橋脚の移動
経年:101年・実働7(9)年
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2013年10月に台風の影響でこの区間で法面の崩壊があった為、旧橋脚が現存しているか不安でしたが、特に変化もなく残っていました。
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見ての通り現在線の築堤である横の斜面が新しく補強されています。またそれと同時に設置されたのか奥への進入を妨げるフェンスが張られていました。
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橋脚の土台付近を見ると、先ほどの旧浜ガードと同じような構造であることが分かります。
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細い細い路地を迂回して立入禁止の柵の向こう側へとなんとかやってきました。見ると橋脚の根元は現在線の法面補強によってコンクリに埋まってしまっています。
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柵の向こうへ来たお陰で旧浜ガードの橋台と瓜二つな構造の東京方橋台を確認できました。
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現在の湊川橋梁の横から対岸を見ます。
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道が無いため調査は出来ませんが、向こうにも同じような橋脚がある事が確認できました。
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この付近の航空写真を見ると、旧橋は現在橋の二倍弱の長さがあったことが推測できます。また湊川の河床内にも旧橋梁の土台が残っている様子が分かります。
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 旧橋建設時の様子を収めた貴重な写真。橋部分はまだ建設が済んでいない写真ですが、現在は土台を残して撤去されている湊川水面の橋脚が美しく並んでいます。この時まさかこの橋が10年も経たずに役割を終えるとは誰が思っていたでしょうか。
ー上記写真:高崎 繁雄(2001.12)「目で見る木更津・君津・富津・袖ケ浦の100年」郷土出版社 より引用、2018年4月閲覧・画像は「ディープネットワークを用いた白黒写真の自動色付け」(http://hi.cs.waseda.ac.jp:8082/)システムによってカラー加工。
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 一通りの調査が終わると、帰りの電車の時刻が近づいていたので真っすぐ駅へと戻りました。今後は今回の旧橋梁と同じく、関東大震災によって被災し放棄された南無谷トンネルについても調査していこうと思います。

探索終了。


本記事(連載の場合全編)での参考文献など(敬称略):
・小野田滋「鉄道構造物探見」(JTBキャンブックス)
・今尾恵介監修「日本鉄道旅行地図帳」(新潮社)

・Googleマイマップ「千葉県の廃線・未成線」
写真:特筆事項が無いものは本記事中(連載の場合全編)全て筆者/同行者による撮影
執筆:三島 慶幸