幽霊専用の廃橋があるとのことなので、幽霊になってきました。(?)

幽霊が渡る橋?

 日本各地に点在し(ている事になっていて)、人間の噂好きと怖いもの見たさの好奇の目が集まる「心霊スポット」。トンネルや橋関連のものも多数あり、千葉市内にはこのようにいわれている場所がありました。
噂をいろいろと掘り下げて行くと…
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幽霊専用の橋?
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なるほど、物理的に渡れないなんらかの橋があるとのことです。でもよく(秒で)考えれば分かることなのですが…(??)

幽霊が渡れて人間が渡れない橋は無い!

探索開始

 まずは橋の位置を確認していきます。宮野木JCTの一体どこにそんな橋があるのかと見てみると…
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それと思わしき違和感しかない橋がど真ん中にありました。
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これは中々厳しそうです。確かに人は渡れないように見えますが、茂みで見えない北側に活路を見出だします。もっとも橋を通過しきることが「渡る」ことだと定義してしまうと、もう見るからに不可能なのですが、それでは探索が進まないので今回は北側にありそうな道を探し当て、橋上への到達を目指します。
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橋の東側には都合良く一般道があるので、ここを起点にしていきます。
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橋の下を進みます。
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砂山に足をずぼっと持っていかれてしまいました。革靴にコートという軽装(というより動きにくい服装)で来てしまったことを今さら悔やみました。
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なんとか端を歩き、砂地を抜けました。
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目の前には手付かずに見える木立が広がります。ここまで道らしき道は皆無ですが、とにもかくにも橋の北側の林に無事入れたようです。車の音は近く聞こえますが、お互いに姿は見えないほど密な林床には踏み跡がいくつかあり、橋の方角に繋がっていそうなのでそれを辿ります。
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見えた!!けどこの見え方は…まずいかも…
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壁ぇー!!

橋の北側にはたどり着けましたが、予感していた通り、前後の道が完全に存在せず橋上の路盤まではかなりの高さがありました。なんらかの理由で橋だけが造られ、取り付ける道は未成のままなのでしょうか。(ちなみに写真を失念しましたが、銘板の取り付け予定もしくは取り付け跡が残っていました。)

冷たいコンクリートの壁には登る手だては無いのですが、ワイヤーや留め金でガードレールが束ねられ、梯子のように垂れています。これでどうにかしてよじ登れそうなので…

幽霊が渡れて人間が渡れない橋は無い!(二度目)

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最後は力技で踏ん張り、登りました。
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気になって仕方が無かった橋の上はこんな光景でした。
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下を車が沢山通り抜けていきます。
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あ、これって…
白昼の元に晒された幽霊になっているのでは…!
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こうして幽霊になった私(まだなってません)は、出口も入口もない橋の上をさ迷います。橋から北東を眺めると、歩いた場所を俯瞰できます。
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航空写真でも結末が見えている南側に行ってみます。
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こちらもスパッと切断されていました。
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頻繁に車は通りますが、そうそう上なんて眺めないので案外気付かれていないかもしれません。しかし相当にリスキーな場所であることは変わり無いので、さっさと帰ります。
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南側から北側を見た様子。橋の前後を見る限りは未供用に感じられますが、橋の上だけでは使用済みなのか未供用なのかは判断できません。
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力技で登ってきた場所を力技で降ります。高いところからは降りる時の方が恐怖感を覚えるのは世の常です。
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あつらえられているガードレールを駆使し、登った時と同じように降りました。革靴はもうめちゃくちゃですが、ここまで来ては気にしても仕方ありません。
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再び林を抜け…
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車から見えない場所を選び進み…
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砂地の横を歩いてもとの場所へと抜け出しました。
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JCT内に残っている手付かずの廃橋としては相当に興奮できましたが、ハイリスクローリターンな探索でした。(再訪するつもりはありませんし、新たに行くことはお奨めしません。)

考察

 結局のところ、この橋はなんだったのか…。その答えを探るべく航空写真を調べていきます。
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宮野木JCT成立以前の航空写真を見ても全く痕跡は無いので、1975(昭和50)年の写真から見ていきます。宮野木JCTは1971(昭和46)年に新空港自動車道(現在の東関東自動車道)がここを起点に富里ICまで開業したことで、京葉道路からの分岐点として供用が開始されました。よってこの写真は宮野木JCTの開業からすぐの様子となります。
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見ての通りですが、現在のようなループ線は無く、先程の橋が掘り割られた高速道路を跨ぐような一般道として供用されていました。
よってこの橋は未成橋では無く、廃橋でした。
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道は何処へ消えたのか、なぜ橋は廃止されたのか。その理由は調べていくとすぐに分かりました。この写真は8年後の1983(昭和58)年に撮られたものです。既に橋だけが取り残され、取り囲むように形成されたJCTの形が現在の様子に近くなっています。

ではなぜこうなったのか、それは写真から1年前の1982(昭和57)年、名称を東関東自動車道に改めていた新空港自動車道が、宮野木JCTから首都高速湾岸線接続部(高谷)まで新たに開通させたからだったのです。これにより宮野木JCTは4方向に交錯するようになったため、新たにJCTが拡張され、橋の前後の道や家屋を含めた辺り一帯がごっそりと掘削されてしまったのです。
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Google ストリートビューで高速道路から橋を眺めます。気にならないドライバーは何も気づかず、目についた人間だけがこの橋の違和感に気づき、いつからか「幽霊専用の橋」といわれるようになったのでしょう。

この橋の正体、それは幽霊専用の橋でもなんでもなく、宮野木JCT拡張の際に、高速道路の本線を横切る橋を撤去するのは手間が掛かるので、その橋だけがポツンと取り残されたという哀しき「道の幽霊」でした。

まとめるとこんな感じになるでしょうか。

宮野木JCTの廃陸橋
施工年:1971(昭和46)年もしくはそれ以前
桁の属性:コンクリート橋(道路橋/車道)
橋台:鉄筋コンクリート
長さ約30m、高さ約5~6m?
所属・管轄:道路公団→東日本高速道路?
使用終了年:1982(昭和57)年もしくはそれ以前
使用終了理由:宮野木JCT・東関道高谷方面の開通による道路の消滅
経年:約50年・実働11年(推定)
特筆事項:京葉道路本線を跨ぐ橋部分だけが現存。現在は「幽霊」が使用中。


探索終了。