3編に分けて執筆した「小濱鉄道」。終点、雲仙小浜駅を目指して進みます。


このトンネルにも退避坑が用意されています。作りは大体これまでの2本と同じですが、このトンネルはアーチ部に後からコンクリートによる巻き立て補強がなされています。
ちなみに2013年のGoogleストリートビューではそのようなものは確認されていない為、ここ数年での施工と見られます。(という事は、そのうち残りの2本でも同様の工事がされる可能性があるので、元来の坑内を見学したい方はお早めに…?)
小浜側の断面です。アーチ部分を補強したことによってかえって遠目からもスプリングライン(アーチ部と側壁の境界)が見やすくなりました。
先に進んでいきます。
木津ノ浜から2.4Km、富津(とみつ)駅跡に到着しました。
慣れからか、最初に「ふっつ」と読んでしまったのは秘密…
富津駅跡には痕跡は残っていない為、設置されているモニュメントのみでその位置を確認できます。
海の向こうに小浜温泉街が見えてきました。
今回の合計徒歩距離は8Km弱で、景色も良く、急な坂も無いので散策には最適な道だなと思いました。

繰り返しになってしまいますが、本当に景色がきれいな廃線跡です。
木津で見たような築堤をまた進んでいきます。
築堤を過ぎればもうまもなく小浜の街に到着します。
町への入口付近にある「古賀橋」には県道201号線の正式名称が刻まれていました。この橋自体は平成5年5月架橋で、鉄道現役当時のものではありません。また付近に旧橋を匂わせるものは発見できませんでした。

建物が立ち並ぶ市街地に入り、終点が近づいてきました。
道がくるっと左にカーブしていく場所から右手に入った所に…
終点、雲仙(肥前)小浜駅がありました。
実際の小浜温泉街からは徒歩15~20分ほど離れています。
最後の駅名板風モニュメントです。右上にも書いてある通り、鉄道自体が現役だったのはたったの11年と少しですが、このように今でも記録と記憶がしっかり地元に残っているのは、やはりこの小濱鉄道が地元住民の手によって建設されたからなのかもしれません。

ここには何か当時の痕跡が無いかと探していると…
なんと最初からホームの上に立っていました。

こうして見てみると、奥に立っている木製の街灯がホームらしい良い雰囲気をアシストしているように感じました。
奥の民家方向には機関庫があったと言われています。

島鉄バスの北村バス停に着いたところで探索は終了です。

予想よりも少し早く歩けたため、諫早方面に帰るバスまで時間が出来たのでバス停の前の海辺に降りてみました。とても綺麗な砂浜でした。
探索終了。
(おまけ編に続く)

富津隧道(愛野側坑口)
施工年:1923(大正12)年
材質:切石・切石布積み
工法:山岳工法
断面形式:甲型断面又はそれに準ずるもの(推定)
全長:106m
要石:確認不可
笠石:切石
扁額類:無
インバート(仰拱):無
所属・管轄:小濱地方鉄道→小濱鉄道→雲仙鉄道→長崎県
使用終了年:現役(長崎県道に転用)
経年:94年
特筆事項:鉄道としては1927(昭和2)年から11年間使用。

このトンネルにも退避坑が用意されています。作りは大体これまでの2本と同じですが、このトンネルはアーチ部に後からコンクリートによる巻き立て補強がなされています。
ちなみに2013年のGoogleストリートビューではそのようなものは確認されていない為、ここ数年での施工と見られます。(という事は、そのうち残りの2本でも同様の工事がされる可能性があるので、元来の坑内を見学したい方はお早めに…?)

小浜側の断面です。アーチ部分を補強したことによってかえって遠目からもスプリングライン(アーチ部と側壁の境界)が見やすくなりました。

先に進んでいきます。

木津ノ浜から2.4Km、富津(とみつ)駅跡に到着しました。
慣れからか、最初に「ふっつ」と読んでしまったのは秘密…

富津駅跡には痕跡は残っていない為、設置されているモニュメントのみでその位置を確認できます。

海の向こうに小浜温泉街が見えてきました。

今回の合計徒歩距離は8Km弱で、景色も良く、急な坂も無いので散策には最適な道だなと思いました。

繰り返しになってしまいますが、本当に景色がきれいな廃線跡です。

木津で見たような築堤をまた進んでいきます。

築堤を過ぎればもうまもなく小浜の街に到着します。

町への入口付近にある「古賀橋」には県道201号線の正式名称が刻まれていました。この橋自体は平成5年5月架橋で、鉄道現役当時のものではありません。また付近に旧橋を匂わせるものは発見できませんでした。

建物が立ち並ぶ市街地に入り、終点が近づいてきました。

道がくるっと左にカーブしていく場所から右手に入った所に…

終点、雲仙(肥前)小浜駅がありました。
実際の小浜温泉街からは徒歩15~20分ほど離れています。

最後の駅名板風モニュメントです。右上にも書いてある通り、鉄道自体が現役だったのはたったの11年と少しですが、このように今でも記録と記憶がしっかり地元に残っているのは、やはりこの小濱鉄道が地元住民の手によって建設されたからなのかもしれません。

ここには何か当時の痕跡が無いかと探していると…

なんと最初からホームの上に立っていました。

こうして見てみると、奥に立っている木製の街灯がホームらしい良い雰囲気をアシストしているように感じました。

奥の民家方向には機関庫があったと言われています。

それ自体が廃線跡そのものと言っても良い、県道201号線は先ほどのカーブの先の「富津入口」交差点で内陸を走っていた国道57号線(島原街道)に合流し、終点となります。

島鉄バスの北村バス停に着いたところで探索は終了です。

予想よりも少し早く歩けたため、諫早方面に帰るバスまで時間が出来たのでバス停の前の海辺に降りてみました。とても綺麗な砂浜でした。
探索終了。
(おまけ編に続く)
本記事(連載の場合全編)での参考文献など(敬称略):
・宮脇俊三「鉄道廃線跡を歩く」(JTBキャンブックス)
・小野田滋「鉄道構造物探見」(JTBキャンブックス)
・今尾恵介監修「日本鉄道旅行地図帳」(新潮社)
・小野田滋「鉄道構造物探見」(JTBキャンブックス)
・今尾恵介監修「日本鉄道旅行地図帳」(新潮社)
写真:特筆事項が無いものは本記事中(連載の場合全編)全て筆者/同行者による撮影
執筆:三島 慶幸
執筆:三島 慶幸
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