「おせんころがし」を横に崖を這う旧旧道を探索していきます。
(前回)
大沢第二トンネルの入口。
トンネルを抜けた先の様子。なにやら物騒な囲いがあります。訪問前に外房線が行川アイランド~安房小湊間での土砂崩れにより運休していたのですが、ひょっとして…
反対側の坑口。いたってシンプルな構造はこれまで見てきたそれと何ら変わりありません。
真新しい地肌が剥き出しになっています。すぐ奥には外房線の線路がありますが大丈夫だったのでしょうか…?
外房線側から崩壊地点を眺めると、急造された土留めがありました。やはり電車を止めた土砂崩れの場所はここだったようです。
外房線を越えた先で旧道は現道に直交します。
国道を渡った先にも同じ道路が続いています。今歩いて来た旧道はおせんころがしの旧旧道と合流しつつこの先海沿いへと飛び出し、日蓮生誕の地・安房小湊まで続いています。
※この記事は2019年4月13日に加筆修正しました。
(前回)
おせんころがし
というわけで、モーテル跡の行き止まりから分岐点まで戻り、当初の進路であるおせんころがしの旧々道を歩きます。おせんころがしの碑が立っている所までは全く問題なく通り抜け、太平洋に突き出た崖の先っぽへと出ます。(明治期から続く貴重な道の一部であるのにこの区間の写真を撮り忘れる大失態…)
お仙の伝承を今に伝える記念碑(慰霊碑)。階段の一段目が壊れて登り辛くなってますが、しっかり合掌しました。
おせんころがしについて分かりやすく紹介されてるので貼っておきます。元はちゃんとしたガラス張りが施されていたようですが、割れたまま放置されています。ひょっとしなくても、観光スポットとしてはあまり訪問されてない…?
冷たい雨風の吹き荒れる海。晴れていれば中々の絶景だと思います。この画像の右手から崖を沿って行くのがこの先の廃道です。
先ほどの位置から左を写した写真。すなわち「お仙が転がっていった」崖。真夜中にこんなところから投げ込まれてしまったと…
旧々道へアタック(おせんころがし側)
ここからは廃道を踏破します。
おせんころがし側から入ろうと試みましたが、入口から想定以上の藪山と化しており、経験の浅い私はまさかの前進不可。雨風も強くて全身びしょ濡れになってしまい、たったの十数メートルで無残にも退却。どう頑張ってもおせんころがし側から突入出来ないので、旧道を先に探索してから、改めて大沢側からのアプローチへ方針転換します。
国道128号 大沢旧道
名前だけで心霊スポット呼ばわりされている現道の「おせんころがしトンネル」。もちろんおせんころがしと直接的な関係はありません。ただ無心に山をぶち抜いてるといった印象です。
現道の「おせんころがしトンネル」東側坑口の横から分かれていく道が旧道になります。現道が大沢集落を「完全に無視して」いるため、この道が車の通れる唯一の交通路となります。
いたって普通の穏やかな山道を切り行った先に構えているのが「大沢第一トンネル」。
交通量は少ないですがさすがは元国道。壁面も深刻な損傷は無く、照明の明るさも全く不備がありません。ただ若干狭さは否めず…1.5車線くらい…?
反対側の坑口。こちら側は銘板がよく見えます。
トンネルに挟まれた大沢集落。第一トンネル坑口からもう次のトンネルが口を開けているのが見えています。
ここが一体どんな土地かは説明するよりこれを見た方が早いと思います。意外と集落自体は縦に伸びています。
そしてこちらが大沢第二トンネル。第一第二と文字通り兄弟のように瓜二つな造り。
しかし第二は何と優秀なことに入り口にマッ缶(=マックスコーヒー)を冷暖完備!
寒くてぶるぶる震える体を温めてくれる「聖水」を補給し、トンネル内を探索します。
ただこの後、再び旧々道へ戻らなくてはならないため、一度くぐった第二トンネルを引き返します。
トンネルに挟まれた集落ですが、海沿いに漁港があり、そちらへ下る道があります。またここで道は外房線と交差します。
下大沢ガード。
国道128号現道の真下まで降りると、外房線はあんなに高いところへ。改めてこの集落全体が急斜面に位置していると分かります。そして最初に目についた物は…
橋の下に隧道(しかも平行)!?
国道128号 大沢旧道(続き)
記事本編では大沢旧道を途中で折れ、おせんころがし旧道方面に向かいました。ここでは後日訪問し踏破した大沢第二トンネルより先の残りの区間を紹介していきます。
大沢第二トンネルの入口。
トンネルを抜けた先の様子。なにやら物騒な囲いがあります。訪問前に外房線が行川アイランド~安房小湊間での土砂崩れにより運休していたのですが、ひょっとして…
反対側の坑口。いたってシンプルな構造はこれまで見てきたそれと何ら変わりありません。
真新しい地肌が剥き出しになっています。すぐ奥には外房線の線路がありますが大丈夫だったのでしょうか…?
外房線側から崩壊地点を眺めると、急造された土留めがありました。やはり電車を止めた土砂崩れの場所はここだったようです。
外房線を越えた先で旧道は現道に直交します。
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