おせんころがしの難所に挑みますが…

 現橋の真下に、しかも同方向に伸びるトンネル。中々このような状況は見られません。ただこれは今回の探索とは全く関係の無く、下の漁港まで続くものです。かなり素敵な洞内勾配が見えるので入りたいところでしたが、立入禁止でした。

旧々道へアタック(大沢側)

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 先ほどのトンネルから少し海側を見ると、おせんころがしへ向かう道が崖にへばり付いているのが見えます。画面左上の橋とトンネル壁面が現道で、そこへと登っていく階段の付け根が旧々道の起点です。
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崖下の漁港。雨風が強くシケていたのか人は少なめ。というかほぼゼロ。
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2つ前の画像に見えていた階段の付け根。旧々道の起点まで上がります。
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…旧道はこっちです。
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…。狭くない??
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床板?になっていますが随分ベコンベコンしています。ちなみに下はもちろん崖。
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振り返ると一番最初のトンネルの反対側の坑口を確認出来ました。長さは短いのにかなりの急勾配だと改めて分かる一枚。
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 出だしの余りの狭さに少し不安になりましたが、あの狭さはただ単に階段を設置したためであったようで、少し進むと所謂「明治道」である幅を匂わせる道(9尺幅、2.7m)が出てきました。もう長い事忘れ去れさられている道ですが、元車道の意地なのか広々としており、全く支障なく進みます。
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 落石防止用のワイヤが道を突っ切って張ってあります。更に先の部分には沢山の物が置かれており、明らかに私有地化されていました。(余談:布団やトイレらしきもの、鍋などが道を「間取る」かのように整然と並んでいました。幸い誰も居ませんでいたが、二日前のおにぎりの袋が落ちていたり…)

終わりは突然やってくる

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「住居」を抜け、このまま順調かと思いきや、なんとその先から路盤が消え始めていました。そして大量のオモダミ系種子植物。まさかの全身種だらけ。
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種子の群れを高巻きした先に進んだものの、小規模な崖崩れが起こっていました。超えようと試みたものの、房総特有の脆い岩に足元を掬われ、進めませんでした。
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滑ればその先は浅黒い冬の海。この場所で撤退を決めました。
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戻る途中にあった立て札。もう不要な道の保安はしてくれないそうです。()
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入り口の階段を上った先の現道はちょうど最初に出てきたおせんころがしトンネルの反対側。
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ちなみに橋の名前は「おおさわはし」でした。
橋自体の銘板もチェックして置こうとまた階段を少し降りて確認してみると…
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銘板落ちてる!
なんとすっぽり落ちてました。潮風が腐食を早めたのでしょうか…?
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トンネル入り口には大沢集落唯一の交通となる鴨川日東バスの大沢バス停があります。そもそもこの階段はその為に造られたかもしれません。そして何故反対側の上総興津駅方面の立て札を立てているのでしょうか…(反対側にも「正しい」上総興津駅方面の立て札があります。)
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道路際で全身のタネをちまちま取ること約20分。定刻で鴨川市内線のバスが来ました。
(袖ヶ浦200か 11-56 いすゞエルガミオ SDG-LR290J1?(年式未調査))

バス停の位置が位置なのでトンネルを抜けたとたんにバスが止まるので知らない後続の車が驚かないか少し心配になりました。
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安房鴨川駅まで向かい、そこから内房線で帰路に着き探索は終了です。

…完全不完全燃焼。
 行川アイランドも旧々道も中途半端で非常に悔しい結果で終わってしまいました。
これは近いうちに必ずリベンジするつもりです。

※追記 同行者が1名おり、その方も記事にしているので興味があればこちらへどうぞ。

完結→リベンジ編


本記事中(全編)で使用した地図・航空写真:
・国土地理院 地理院地図(電子国土web)(加工は筆者によるもの)
写真:特筆事項が無いものは全て筆者/同行者による撮影
執筆:三島 慶幸
※この記事は2018年1月28日に加筆修正しました。