様々な「表情」を見せる旧国道。
(→前編の記事はコチラ)
おせんころがしから海沿いの断崖を這うように進んできましたが、ここでトンネルが出て来ました。
小さな峠越えの隧道名は「小湊隧道」。明治時代から変わらない道という事でかなりの歴史があります。ただしトンネル自体は1939(昭和14)年に大幅な改修を受けているそうです。坑口の意匠のシンプルさなどは大沢旧道の2本のトンネルのそれと少し似ています。
特筆事項:1939(昭和14)年に大規模改修(拡張された可能性もあり)
坑内は大半が素掘りにモルタル吹付です。海からの明るい日差しでとても100m近くあるようには感じられません。
反対側の坑口。こちらには意匠が無く素掘りのままに見えますが…坑門左上に注目。モルタルの中に石の布積みの模様が浮かんできます。改修以前の坑門の形態がこれであったとすれば、希少な石積みのトンネルだったという事になります。
遠景。海側とはうって変わって鬱蒼としつつもどこかのどかな峠越えのトンネルといった景色が広がっています。手前のロックシェッドは国道時代の遺物でしょうか。
トンネルを後にし、小湊へ向かって進んでいきます。
海沿いの豪快な景色から一気に林道然とした山道に変わりました。このように全く違った風景が広がると飽きずに歩けてとても楽しいです。
ゆっくりと山を下って行きます。国道にしては大きく輸送量が足りませんが、明治道らしい1.5車線の道が続きます。ちなみにこの道、現在では釣り人のアクセスルートと地元民の抜け道(?)として利用されています。道幅は狭いですが、かつて乗合馬車が通っていただけあってそこまでの急勾配や急カーブは無く、ドライブするのに良いかもしれません。
山を下りると建物が見えてきました。
(手前の廃墟、ここまで荒れているのに玄関だけ何故か最新式で、ちょっと気になりました…)
長谷地区という場所だそうです。安房小湊の街のどんづまりに位置しています。
境内からは美しい内浦湾と小湊港が望めます。
降誕800年が近いそうで…
厳かな境内を後にします。
誕生寺の横で、道路は2車線に広がりました。
安房小湊駅の標識が見えて来ました。
久しぶりにふれあいの道の道標が出て来ました。いつかは全部歩いてみたいです。
誕生寺から400mほど歩いたところで、現国道とぶつかります。交差点の名前は「日蓮」交差点でした。
トンネルの名前も「日蓮トンネル」。タイの絵が描かれています。
現道の様子。
日蓮交差点では旧道と現道が交差しているという不思議な光景が広がっています。現道を渡った先にある細い小路が旧道です。
おせん周辺のような元の幅に戻った道路の様子。
コンクリート製の「湊橋」を渡橋します。これは近年になってからの架け替え橋でした。
渡った先で旧道は左折します。
古き良き海沿いの建物…といった感じでしょうか。
あっというまに合流地点です。
振り返った様子。左が今歩いて来た旧道、右側が日蓮交差点から海沿いを進んで来た現道です。ここからしばし旧道と現道は全く同じルートなります。
新道から旧道入口を眺めた様子。看板に狭まって描かれている部分がありますが、これは外房線を潜るガードを表しています。この旧道とは関係ありませんが、卵型の小さな断面である事が特徴です。
(これがその「上野ガード」です。)
旧道がそのままのルートで使われている区間にはこのような碑が建っていました。車線の拡幅に協力した住民への感謝の碑でした。バスや車がすいすいと通っているここも、昔は1.5車線レベルの道路であったということが改めて分かります。
道路から見る小湊港の風景。ゆったりとした時間が流れています。
内浦交差点で国道から離れ、安房小湊駅の方へ向かいます。かすれた中央線から見て分かる様にこちらもかつての国道でした。
立派なコンクリート橋が架かっています。
いかにも昭和期の意匠といった感じの橋です。
昭和30年3月竣工と銘板に書いてありました。おそらくこの橋の完成と同時に前後区間の拡張(2車線化)が行なわれたのだと思われます。
ちょっと休憩。
(橋の上で何やってんだコイツ…)
橋を渡ればすぐに安房小湊駅に到着します。誕生寺・鯛の浦への玄関口の風格のある古風ながらも綺麗な駅舎です。探索日が土曜日だったので、タイミング良く新宿わかしお号がやって来ました。たまには自分へのご褒美(?)として乗って帰ることにしました。これにて2年ほど執筆していた国道128号線旧道群の探索は終了です。
※一部写真・探索において別日に撮影したものを使用しています。
探索終了。
いくつもの顔を見せる道
おせんころがしから海沿いの断崖を這うように進んできましたが、ここでトンネルが出て来ました。
小さな峠越えの隧道名は「小湊隧道」。明治時代から変わらない道という事でかなりの歴史があります。ただしトンネル自体は1939(昭和14)年に大幅な改修を受けているそうです。坑口の意匠のシンプルさなどは大沢旧道の2本のトンネルのそれと少し似ています。
小湊隧道(大沢側坑口)
施工年:1902(明治35)年以前
材質:コンクリート・一部手掘吹付
工法:山岳工法
全長:95m
工法:山岳工法
全長:95m
笠石:意匠有
扁額類:無
扁額類:無
ウイング(翼壁):無
インバート(仰拱):不明
インバート(仰拱):不明
所属・管轄:鴨川市
使用終了年:現役
経年:117年以上・実働117年以上
坑内は大半が素掘りにモルタル吹付です。海からの明るい日差しでとても100m近くあるようには感じられません。
反対側の坑口。こちらには意匠が無く素掘りのままに見えますが…坑門左上に注目。モルタルの中に石の布積みの模様が浮かんできます。改修以前の坑門の形態がこれであったとすれば、希少な石積みのトンネルだったという事になります。
遠景。海側とはうって変わって鬱蒼としつつもどこかのどかな峠越えのトンネルといった景色が広がっています。手前のロックシェッドは国道時代の遺物でしょうか。
トンネルを後にし、小湊へ向かって進んでいきます。
海沿いの豪快な景色から一気に林道然とした山道に変わりました。このように全く違った風景が広がると飽きずに歩けてとても楽しいです。
ゆっくりと山を下って行きます。国道にしては大きく輸送量が足りませんが、明治道らしい1.5車線の道が続きます。ちなみにこの道、現在では釣り人のアクセスルートと地元民の抜け道(?)として利用されています。道幅は狭いですが、かつて乗合馬車が通っていただけあってそこまでの急勾配や急カーブは無く、ドライブするのに良いかもしれません。
山を下りると建物が見えてきました。
(手前の廃墟、ここまで荒れているのに玄関だけ何故か最新式で、ちょっと気になりました…)
長谷地区という場所だそうです。安房小湊の街のどんづまりに位置しています。
遠くに立派な建物が見えました。
誕生寺に到着しました。日蓮宗の開祖、日蓮の生誕を記念して建てられた寺院で、1276(建治2)年に創建されました。千葉県は日蓮由来のものが多く、熱心な信者も多くいます。
誕生時の横を抜けていきます。せっかくなのでちょっと寄り道。
誕生時の横を抜けていきます。せっかくなのでちょっと寄り道。
境内からは美しい内浦湾と小湊港が望めます。
降誕800年が近いそうで…
厳かな境内を後にします。
誕生寺の横で、道路は2車線に広がりました。
安房小湊駅の標識が見えて来ました。
久しぶりにふれあいの道の道標が出て来ました。いつかは全部歩いてみたいです。
誕生寺から400mほど歩いたところで、現国道とぶつかります。交差点の名前は「日蓮」交差点でした。
トンネルの名前も「日蓮トンネル」。タイの絵が描かれています。
現道の様子。
日蓮交差点では旧道と現道が交差しているという不思議な光景が広がっています。現道を渡った先にある細い小路が旧道です。
おせん周辺のような元の幅に戻った道路の様子。
コンクリート製の「湊橋」を渡橋します。これは近年になってからの架け替え橋でした。
渡った先で旧道は左折します。
古き良き海沿いの建物…といった感じでしょうか。
くねくねと小湊の街を進んでいきます。建物の並びと雰囲気と潮の香りが合わさって良い風情を醸し出していました。
あっというまに合流地点です。
振り返った様子。左が今歩いて来た旧道、右側が日蓮交差点から海沿いを進んで来た現道です。ここからしばし旧道と現道は全く同じルートなります。
新道から旧道入口を眺めた様子。看板に狭まって描かれている部分がありますが、これは外房線を潜るガードを表しています。この旧道とは関係ありませんが、卵型の小さな断面である事が特徴です。
(これがその「上野ガード」です。)
旧道がそのままのルートで使われている区間にはこのような碑が建っていました。車線の拡幅に協力した住民への感謝の碑でした。バスや車がすいすいと通っているここも、昔は1.5車線レベルの道路であったということが改めて分かります。
道路から見る小湊港の風景。ゆったりとした時間が流れています。
内浦交差点で国道から離れ、安房小湊駅の方へ向かいます。かすれた中央線から見て分かる様にこちらもかつての国道でした。
立派なコンクリート橋が架かっています。
いかにも昭和期の意匠といった感じの橋です。
昭和30年3月竣工と銘板に書いてありました。おそらくこの橋の完成と同時に前後区間の拡張(2車線化)が行なわれたのだと思われます。
ちょっと休憩。
(橋の上で何やってんだコイツ…)
橋を渡ればすぐに安房小湊駅に到着します。誕生寺・鯛の浦への玄関口の風格のある古風ながらも綺麗な駅舎です。
※一部写真・探索において別日に撮影したものを使用しています。
探索終了。
本記事中(連載の場合全編)で使用した地図・航空写真:
・国土地理院 地理院地図(電子国土web)(加工は筆者によるもの)
・国土地理院 地理院地図(電子国土web)(加工は筆者によるもの)
写真:特筆事項が無いものは本記事中(連載の場合全編)全て筆者/同行者による撮影
執筆:三島 慶幸
執筆:三島 慶幸
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