国有化後の改軌によってルートを変えた福塩線の横尾~福山間の旧線跡のうち、福山市街に埋もれた路盤跡を探索していきます。

福山市街地を走る

(【前編】はコチラ)
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国有化後の改軌によってルートを変えた福塩線の横尾~福山間の旧線跡を探索しています。
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途中の難所・大峠。ここを線路はトンネルで越えていましたが、現在は道路転用に際して開削されています。
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丘を降りたところで福山市街に突入します。
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中国バスの大峠停留所を過ぎた辺りから道路は福山市街に向かって顕著な下り坂になります。朝の時間帯なので、通勤かお買い物と思わしき車が列をなしています。
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この付近の国道は周囲よりやや高い地点に位置しており、「南陽台入口」交差点付近で集落の古道?と思わしき道路をオーバーパスします。写真はそのオーバーパスから南東に位置する用水路同士の立体交差の様子です。
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オーバーパスの下側にやってきました。写真正面を横切っているのが歩いてきた国道です。
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下に進むと…!
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橋台発見!【地点⑤】
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国道の陸橋の下にひっそりと、鉄道時代の橋台が残されていました。サイズ感や石材、組積は最初に横尾駅付近で見た橋台とよく似ています。ここでは2台とも健在な上に、現在でも道路橋の一部として役割を果たしているように見えました。
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上からだとまさかこの下に廃線跡の明瞭な痕跡があるとは思えないような、ごくありふれた郊外の景色です。橋台の存在によって路盤の位置が特定できているので、このあたりではちょうど中央車線あたりにレールが敷かれていたと分かります。
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坂を下りきりました。旧線跡は県道と交わるこの交差点付近から国道を離れ、東方向に進路を変えます。
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右折した先は閑静な住宅街です。この県道は旭通りという通り名が与えられているようです。
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この交差点の北西側の角、ちょうど軌道がカーブして進路を変える位置の土地割りが斜め(=路盤用地跡)のままで、建物が斜めに構えているのが分かります。こういうのは現地より航空写真や地図の方が分かりやすいですね…【地点⑥】
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このあたりでは路盤跡が路地に転用されている様子はなく、県道の南側を住宅街の中に溶け込んでいます。推定路盤跡と交差する路地を通るために、家々の間をうろうろしながら進みます。
介護施設「ゆうゆう奈良津」の東側の路地へ向かうと、まさに路盤跡という位置で道が不自然に折れていました。数少ない線路跡の痕跡です。
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しばらく進むと通り沿いになにやら吊り下げられた解説板が現れます。旭通りと吉津村の歴史を語る文の最後には「吉津駅」に関しての記載が。
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廃止区間の途中駅、吉津(よしづ)駅跡に到着しました。【地点⑦】写真のちょっと広い道がいわゆる「駅前広場」にあたる場所になります。往時の駅舎orホームから眺めた形になるでしょうか。
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【地点⑤~⑦(吉津駅跡)】
路線開業の翌年、1915(大正4)年に設置された吉津駅は、跡地にあたる民家の庭にホーム跡と古レールが残されているようです。ただ平日の朝早くにいきなりノックするのはさすがに憚れたため、今回は泣く泣くスルーしました。(何かしら見えたりはしないか、ちょっと辺りをうろうろしましたが…)

城跡を掠める両備福山駅へ

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いよいよ終点に向かってラストスパートといった感じです。
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吉津手前から南西に住宅街を横断してきた路盤は、現在「旭通公園」となっているところで吉津川を跨ぎ、そこから川沿いに進みます。
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橋の先には弘宗寺というお寺があります。路盤はかつてこのお寺の敷地内を通過していたようです。【地点⑧】
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時間があれば旧線時代について伺っても良いかもしれませんね。
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同じく敷地内に路盤が通っていたという「池田糖化工業」の工場を過ぎると、路盤跡をそのままなぞる道路が現れます。
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久しぶりに路盤跡そのものを歩くことができました。
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「惣門番所」と書かれた太鼓橋が掛かっています。福山城下の北側の出入口にあたるそうです。
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説明書きを読むと…
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大正初期の現在地の写真が載せられていました。そして、まさしく両備軽便線の路盤がはっきり写っています。
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現在の「土橋」袂の様子。写真左手の軽自動車2台と民家の敷地に2つ目の途中駅、「胡町(えべすまち→えびすまち)」がありました。【地点⑨】
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線路の上から左手のホームを眺めた…といった感じの現在の様子。川沿いのこじんまりとした停留所だったようです。なお廃止2年前の1933(昭和8)年に読みを「えべすまち」から「えびすまち」に変えた記録が残っています。
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駅前広場の様子。言われないとかつて駅前だった時期があるとは思えません。
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駅跡の先にはもうひとつ「新橋」という橋が掛かっています。現役当時から2本の橋に挟まれた駅構造だったようです。
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新橋から先に進むと路地が行き止まりになっており、福山駅方面の左(南側)に折れています。
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路盤はこのあたりで半径約100mの急カーブを描いていました。この急カーブもまた、改軌時に本区間が廃線となった要因と思われます。
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国道からのカーブとは違い、こちらでは宅地の区割りによる路盤跡の同定は出来ませんでした。曲がった先と思わしき、丸之内二丁目交差点に素直に向かいます。
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ここの角の薬局の壁になにやら説明書きがあります。
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説明の通り、植え込みに軽便線由来のコンクリ土台があります。【地点⑩】
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道に対して斜めに置かれていることが、路盤のカーブを物語っています。なおこれな今回の探索で最後の目立った痕跡となります。
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まっすぐ福山駅に向かって進みます。
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路盤はこの道路の右手を通過していたようです。ちなみにこの路盤の位置は福山城の東側外堀にあたります。
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どうやら軽便線の建設にあたって、福山城東御門から北御門にかけての外堀を埋め立て、そこにレールを敷いていたようです。こちらの駐車場の奥には外堀そのものの石垣が残されていました。
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立体駐車場を過ぎると、ファミリーマート福山駅北口店に到着します。ここが両備福山駅跡です。両備軽便鉄道の起点駅として、大きな駅舎や引き込み線を備えた駅でした。【地点⑪】
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振り返れば、現在の福塩線が高架ホームの7・8番のりばから発車している様子が見えました。
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【地点⑧~⑪(両備福山駅跡)】
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ここまでの全探索のおさらいです。路線距離にして4.3km、実徒歩5km程度(約1時間半)の中に、山越えから街中の路盤跡巡りと適度に残る当時の遺構めぐりと、充実した探索となりました。

この後福山駅で朝食を摂ってから、駅の南側に展開する福山でもう一つの軽便線、鞆鉄道の探索に向かいます。こちらはまた別のレポートにて紹介していくので、執筆するまで首を長~くして待っていただけるとありがたいです。

探索終了。

本記事(連載の場合全編)での参考文献など(敬称略):
・宮脇俊三「鉄道廃線跡を歩く」(JTBキャンブックス)
・今尾恵介監修「日本鉄道旅行地図帳」(新潮社)
・「備後の今昔 復刻版」(備後文化研究会)
・「福山市史 下巻」(福山市)
・備陽史探訪の会:デジタルライブラリー
「【ぶら探訪】両備軽便鉄道跡を歩く」


本記事中(連載の場合全編)で使用した地図・航空写真:
・国土地理院 地理院地図(電子国土web)(加工は筆者によるもの)
・国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス(加工は筆者によるもの)

写真:特筆事項が無いものは本記事中(連載の場合全編)全て筆者/同行者による撮影
執筆:三島 慶幸