東京から銚子までを結ぶ総武本線の末端区間、猿田(さるだ)駅の周辺には貴重な煉瓦構造物が2つ存在します。

総武本線に存在するフランス積み煉瓦構造物

 トンネル、橋、駅施設…などなど数ある鉄道建築物の中で、煉瓦造りは日本の鉄道の中でも初期にあたる明治期(~大正初期)に数多く採用され、堅牢さを求められる橋台や危険品庫(ランプ小屋)、隧道(トンネル)の巻き立てや橋のアーチ部などに用いられました。
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 焼成されたブロックを現地で積み上げていく工法である煉瓦造りにおいて、ブロックの積み方は数多く存在するため、その積み方によって意匠を凝らすことができます。
 日本の鉄道建築物においては、1列(段)ごとに「長手(長辺側)」方向と「小口(短編側)」方向で揃えたブロックを直角に重ねていく「イギリス積み」もしくは「オランダ積み」が、強度が最も優れているとされ多く採用されましたが、ごく稀に「フランス積み(フランドル積み)」と呼ばれる、1列の中で「長手」と「小口」を交互に配置していく見栄え重視な積み方を見ることができます。
 そのフランス積み構造物が総武本線猿田駅の周辺に2つ存在するということで、今回はそれらを訪問していきます。

1列だけのフランス積みと城跡

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1つ目の構造物は猿田~松岸間(の松岸寄り)に存在します。松岸は佐倉で別れた総武本線と成田線の銚子側の合流駅として知られている駅ですね。
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駅から成田線の線路沿いを国道経由で西北西方向に歩き、「余山町」で踏切を渡ります。分岐していった総武本線が遠くに見えるはずなのですが、今日は霧が濃いためより何も見えません。
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渡った踏切からまっすぐ進むと、今回のお目当ての構造物にぶつかります。煉瓦構造とはいえ、一見するとよくある小さな架道橋なのですが、この架道橋にフランス積みが採用されています。
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岡之台第二号架道橋(岡野台第2号ガード)
施工年:1897(明治30)年
橋台:レンガ

所属・管轄:総武鉄道→帝国鉄道庁~日本国有鉄道→JR東日本
使用終了年:現役
経年・実働:125
特筆事項:橋台部分の煉瓦組積の内1列がフランス積み
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とても興味深いことなのですが、この岡之台(岡野台)2号橋ではたった1列だけがフランス積みになっています(写真内では上から5列目)。
どういった経緯でこういう施工になったのかは分かりませんが、意匠目的にしてはあまりに地味すぎると思ってしまうのは自分だけでしょうか。
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現在では125年の歴史を感じさせる渋い汚れや傷に完全に飲み込まれてしまっている印象です。(どこがフランス積みになっているか分かりますか…?)
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なお、ここが「二号」架道橋なので当然「一号」架道橋がここから猿田方に存在します。こちらも同様の煉瓦造り(当然建設年も同じ)なのですが、こちらではフランス積みになっている列はありません。
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橋の直前でカーブする道は車通りもそこそこあるため、気を付けて観察する必要があります。
橋をくぐって振り返り、南側からも記録を終えたら、北側に戻って猿田駅方面へ進みます。
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歩いていると急な上り坂に襲われました。小さな丘を越えるようです。
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坂の途中の岩肌には何かを思い出すような窪みが。なんだこれは…
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答えは丘の上にありました。どうやらここは城跡なのだそうです。平成の大合併までこの辺り(銚子・飯岡・旭)に存在した海上(かいじょう)郡のルーツである海上(うなかみ)氏の戦国時代の居城と記されています。
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城跡を過ぎると、高さはそこまでありませんが美しい切通しが現れます。
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跨線橋と猿田神社

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中島城址を迂回した道は、再度総武本線に沿うように曲がっていきます。
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藪の中に見えたので何となく立ち寄ってみた踏切(正明寺踏切)です。渡った先には休耕田しかないという秘境みのある踏切でした。果たして現在利用者はいるのでしょうか。
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うろうろしているとちょうど電車が通っていきました。
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途中線路を一度横断すると、猿田駅はもうすぐそこです。
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駅前に到着しました。
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ここで訪問したい煉瓦構造物は、駅よりも少しだけ倉橋方にあります。
線路沿いの小路を奥まで進むとお目当ての煉瓦構造物にぶつかりました。しかし手前の藪が深く、なかなか思うように観察できません。どうにかノソノソして…全貌を…!
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見えた…!

先神橋跨線橋
施工年:1897(明治30)年11月
橋台:レンガ

所属・管轄:総武鉄道→帝国鉄道庁~日本国有鉄道→JR東日本
使用終了年:現役
経年・実働:125
特筆事項:高欄部分のみフランス積み・電化工事時部分改築(1973)

先神橋跨線橋は、線路が沿線の猿田神社の参道を横切ってしまう為に造られた跨線橋です。建設当時、猿田神社が参道の用地を提供する代わりに総武鉄道(総武本線の前身)が参道用の跨線橋を寄進したといわれています。
上の写真では見切れしまっていますが、左側橋台の下部(階段部分の下)には2径のアーチが存在し、1本が高田川を跨ぐ水路として利用されています。(もう1本は通路用だが現在は通行不能)
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隅石と帯石を持ち、イギリス積みとなっている橋台の様子。橋が線路に対してやや斜めに架けられているため、橋台には角度が付けられています。
また上部には石でできた突起がありますが、これは建設当初の木製桁を支えていた部分ではないかと推測されます。見ての通り現在の桁部はコンクリート製で、これは1974(昭和49)年の電化によるものです。(あわせて橋台側も嵩上げと思われる工事がされています。)
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下からの観察を済ませ、参道の入り口(二の鳥居)へと回ってきました。先神橋の橋台上とそれに付属する階段部は、犬吠埼周辺や長崎海岸などで採掘された「銚子石」と呼ばれる地場の砂岩を用いた階段になっています。
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先神橋ではこの階段部分の横、高欄にフランス積みが採用されています。
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強度を大きく考慮する必要がない上、参拝者の目に付く位置である高欄部にフランス積みを採用したのは理に適っていますし、参道を横切ってしまうことになった神社への敬意を感じ取れます。
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猿田神社は公式(社殿の造営)には807年、伝承によると垂仁天皇25年(紀元前5年)の創建という由緒ある神社で、猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)が祀られています。信仰やご利益どうこうはさて置いても、ピンと張りつめたような厳かな雰囲気が感じられます。
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本殿側から先神橋の様子を眺めます。線路の直上部の高欄は煉瓦製ではありません。
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ここには古レールが再利用されていました。刻印もなく寸法も小さい(軽レール)ため、軍用線や森林・産業用軌道、軽便軌道などからの転用でしょう。
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再び階段側へ戻り、しゃがみ込んでじーっとフランス積みを観察していると、刻印らしきものが確認できました。
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ちょうど下を特急「しおさい」が通過していきました。
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階段の最下部、二の鳥居の根元にある親柱。建設年と「先神𫞏(←「橋」の異字体(俗字))」・「せんかみはし」の名称が彫られています。
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行きにスルーしてしまったので、帰りは一の鳥居を通ってから駅へ向かいました。

探索終了。

【弊サイト「奥ゆかし廃探索記」は、本日(2022/1/19)をもちまして開設から6周年となりました。飽き性の自分がここまで続けられたのは、記事を投稿した際や何かのきっかけで時折記事を読んで下さる皆様のお陰にほかなりません。相変わらず超スローペース更新ではありますが、7年目もよろしくお願いいたします。】

本記事(連載の場合全編)での参考文献など(敬称略):
・小野田滋「鉄道構造物探見」(JTBキャンブックス)
・「千葉県の産業・交通遺跡」(
千葉県教育委員会(1998))

本記事中(連載の場合全編)で使用した地図・航空写真:
・国土地理院 地理院地図(電子国土web)(加工は筆者によるもの)

写真:特筆事項が無いものは本記事中(連載の場合全編)全て筆者/同行者による撮影
執筆:三島 慶幸