久々の林鉄レポは「千頭森林鉄道」。これほど有名で、かつ(色んな意味で)恐ろしい林鉄に、ついに挑み始めます。

最大の営林署・千頭

(当サイト初の林鉄記事「小坪井林用軌道」において、森林鉄道のおおまかな説明はしているので割愛させて頂き、千頭林鉄について紹介します。)

 静岡県榛原郡川根本町の大井川水系、寸又川(すまた)の一帯をかつて管轄していたのが東京営林局の「千頭営林署」です。ここは、森林鉄道が簡単にイメージできる木曽や東北の山々を差し抜いて、全国350署ある中でも最大規模の予算を誇った営林署でした。では何故そこまで大規模にお金が掛かったのか…それは地形に深い関わりがありました。

“「地形は早壮年期~満壮年期で浸食作用がはげしく、起伏量が著しく大きい。そのため崩壊の規模が大きく、河川の谷壁部は急斜をなす。~(略)~標高は、300m~2591mとその差が著しい。」”
―『千頭森林鉄道 30年のあゆみをふりかえって(千頭営林署発行)』より

 おそらく皆さんご存じでしょうが、この営林地の山々は南アルプス(赤石山脈)。「日本の屋根」に数えられるようなずば抜けて急峻な場所なのです。
 どうしてそれほど苦労してここで林業を行ったのか…というより、それが故に山奥には「手付かず」の木資源、水資源があったのも開拓の目的として大きかったのだろう、と私は推測しています。
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(↑千頭営林署の系統図。逆河内支線が無いことから昭和30年代あたりのものと推測)

 さて、話を林鉄に移します。昭和初期、現在の中部電力にあたる「第二富士電力」が、寸又川の水資源を活用するべく建設を目論んだ千頭堰堤(千頭ダム)のための運搬用の工事用軌道として「寸又川専用軌道」を開通させたのが千頭の山における長い森林鉄道のきっかけでした。
 この専用軌道は当初からただの荷物運搬ではなく、ダムが完成することによって不可能になった、以前からこの地域で行われていた寸又川による筏での木材輸送に対する補償を兼ねており、ダムの資材運搬を中心に運行すると共に、帝室林野局の木材の運搬を受託していました。
 そして無事にダムが完成すると、富士電力は路線を帝室林野局に無償譲渡。これが千頭森林鉄道として昭和44年の全線廃止まで、さらなる上流まで線路を伸ばしつつ木材を輸送し続けました。(ちなみに、「無償譲渡は事前に規定されており、当初から森林鉄道一級線規格で建設された」という話もあるが、定かではありません。)
 路線は沢間という地点を起点に延びていましたが、貯木場が千頭にあったため、沢間から千頭は大井川電力専用軌道線という別の路線に乗り入れていました。こちらは1936(昭和11)年の改軌を経て、1959(昭和34)年)に大井川鉄道井川線となっているので、千頭から沢間は森林鉄道(軌間762mm)と地方鉄道(軌間1067mm)の併用による三線軌条という非常に珍しい区間でした。沿線住民の足でもあった林鉄は「エンジン」という愛称で親しまれていましたが、1968(昭和43)年に廃止されてしまいました。ちなみに愛称は今では井川線に引き継がれているそうです。廃止と前後する形で一部の路盤は自動車道転用の工事が進められ、今では「寸又右岸林道」となっています。

究極の「林鉄沼」・千頭林鉄、探索開始!


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 今回探索したのは、千頭森林鉄道本線の驚異的全長、約41kmのうち、起点側の僅か5.5kmです。目標は全線踏破ですが、リアルに命の危険が伴い、かつその長さと交通がないため野宿は避けられないという事情から林道として舗装され、再整備されている区間のみにしました。こう書くと甘いように思えますが、この初歩的区間でさえ命の危険を感じるような場面に出くわしました。そしてこの初歩的区間だけで何度でも命の危険を差し出したくなるような魅力に取り憑かれてしまいました。()

ではいざ、出発!

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起点の沢間集落に到着、すでにかなり山は深めです。
谷間の小さなこの場所でも茶畑が広がるところに静岡を感じます。
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早速踏切が現れました。井川線らしく「アプトセンター」の文字が刻まれています。
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しばらく歩くと沢間駅が見えてきました。可愛らしい木造駅舎が出迎えてくれます。
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本数がぁ…と言いたい所ですが、実は私の出身地の某駅と本数はあまり変わりません。しかし最終の早さには驚かされました。探索した時点で、すでに下り最終は過ぎていました。過疎化の現在では、ほぼ完全に観光用なのでしょう。
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沢間駅ホームの様子。井川線ホーム特有の「ホームというより石板だろ!」という所への突っ込みは置いておいて、右側に複線分、いえそれ以上の用地がある事に目が行きます。
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使われていない暗渠を渡ります。
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最初の地図を見れば分かると思いますが、沢間の林鉄起点は沢間駅より300m千頭寄りでした。つまりこのスペースは千頭林鉄の廃線敷というわけで、しばし単線並列状態が続いています。
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先から見えていたものが遂に近付いてきました。千頭林鉄または寸又川工事用軌道で使用されていたと考えられるホッパーの跡です。丁度林鉄線側にしっかり設えており、千頭林鉄内ではかなり有名な痕跡です。
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ホッパー内部。大量の土砂の類いを貯めただけあって本体は頑丈です。またホッパーの排出口?にあたる部分も辛うじて姿を留めていました。
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この橋(第四号橋梁)の先で路盤は単線幅に収束しているので、ここから先がかつて狭軌(日本標準軌)の井川線と、ニブロクの千頭林鉄による3線軌条でした。途中の橋やトンネルなどに痕跡があるかもしれませんが、ここでは確認できませんでした。
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起点位置から眺めると、ホッパーの位置が廃線敷であることがハッキリとします。長い長い千頭林鉄41kmの起点に立てている…それだけで感激と興奮が止まりません。
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沢間駅の停車場区域表がホッパーに立て掛けてありました。明らかにもとの場所から引き抜かれているように思えますが大丈夫なのでしょうか。
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さて、高まる気持ちをリセットし、起点から改めて千頭林鉄探索を開始します。
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先程越えた小さな橋をよく見直すと、古レールを裏返した再利用品でした。落ち着いて探索する事の大切さを痛感します。
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右手に井川線、左手に千頭林鉄という素晴らしい光景が展開していたと考えられる構内。井川線の廃ホームもあり、かつては交換設備がさらにあったと考えられます。
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駅舎が軌道跡を避けるように建っています。恐らく廃線前から変わらないでしょう。花壇が軌道跡らしい位置にありました。
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さて、廃線跡の転用道路を進んでいきます。
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何となく隣の芝が敷地のような気もします。非常に美しい光景が展開されていたと考えられます。
→この石垣を含めた芝部分が実際の路盤跡であることが、現役時の写真から確認されました。(2018/3/17 追記)
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近くに枕木がありました。このサイズは間違いなく千頭林鉄のものです。
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左の玉石練積みの石垣が堪りません。
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ひたすらに美しい廃線跡です。
ちなみにこの廃線跡が道路転用したおかげで、小さな沢間の集落には南北に貫く道路が3本という「道路過多」が発生しています。
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ちなみに何故か林鉄跡の道路は地図に無かったりしています。
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!!!!!
古レールだ!!!
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転用道路沿いにあったゴミ捨て置き場に、古レールが多数転用されていました。素晴らしい発見にテンションが上がります。
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おぉ?!?!

レールの繋ぎ目の部材まで残るという素晴らしいおまけ付きでした。これは中々貴重ではないでしょうか。
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踏切付近で井川線から林鉄本線跡を眺めます。
上のガードレールとすでにこれだけの差がついています。
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高度を上げつつ分岐していきます。素晴らしい勾配だ…

続く