東武日光線の分岐駅で、東武鬼怒川線の起点駅でもある下今市駅。かつては今市市の中心駅であり、日光市となった今でも市役所はこの今市に置かれています。そんな今市市街地には戦前のたった10年間だけ活躍した路線がありました。
現在の東武鬼怒川線の前身は下野電気鉄道、さらにその前は下野軌道という会社が運営しており、1917(大正6)年に大谷向今市~中岩を開通させ、鬼怒川水力電気下滝発電所建設のための貨物輸送を中心に運行していました。2年後の1919(大正8)年に下野軌道は大谷向今市~新今市間を開通させ、大谷川を渡って省線(国鉄)今市駅前に接続を果たしました。新今市駅は省線今市駅、すなわち今のJR日光線の今市駅に接続する形で建設され、今市駅ロータリー前に駅があったそうです。
一般的に推定されているルートはこちら。新潮社から発行されている「日本鉄道旅行地図帳」にも記載されているこの廃線ルートをここでは「曲線ルート」と呼ぶことにします。ネット上などでも調べてみると、地元住人の証言などもこの「曲線ルート」に集中しており、こちらがどうやら定説のようですが、どうしても納得がいかない点があります。大谷向今市~新今市の距離は1.4kmという記録があるはずなのですが、この区間の推定距離はおおよそ1.8km、同区間の距離データである1.4kmを大幅に超えてしまうのです。
そこで今回提言するのはこのルート。大谷川を渡ってからそのまま直進していくルートなので「直進ルート」と呼ぶことにします。
一見すると右の曲線ルートの方が下今市に差し掛かる鬼怒川線のカーブの線形にあっているため、やはりこちらではないのかという根拠になり得ると思いますが、東武日光線が下今市駅まで開通したのは1929年であり、それより10年も前に開業したこの線路をわざわざ日光線の下今市駅に合わせて曲げる必要は無いはずなのです。
更に私の提言している(?)直進ルートでは、(こちらもおおよそですが)推定路線距離が1.4kmと、記録されている距離とほぼ一致するのです。という訳で、今回はこの「直進ルート」を探索していきます。
まずは鬼怒川線の列車の中から分岐推定地点を眺めます。
下今市駅で下車。これまでの小さいながらも味のある駅舎も良かったのですが、SL運転開始の拠点駅ということでレトロ風の駅舎に変貌を遂げていました。
分岐していたと想定している地点へ向かっていきます。道路が手前で東武日光線を潜っていますが、先述の通りこの路線は日光線完成よりも前に開業し、開業とほぼ同時に廃線になっているためこれを考慮する必要はありません。
日光線の6050系が通過していきます。旅情が感じられる車内と私自身のこれまでの「思い出補正」で個人的には東武で一番好きな車両です。
鬼怒川線の下今市へ差し掛かる手前のカーブの始まる所へ到着しました。
ここから推定している路盤は真っすぐ今市駅方面にのびていきます。
直進していくと考えている先を眺めます。なにかしら痕跡があったらいいなと見回すと…

そしてその土台の向こう側です。路盤だったとしても十分その可能性があるようなスペースに感じました。
当初は写真中央の道路が路盤跡と考えていましたが、土台の位置を考えると違うようです。
本当のルートはどれなのか





探索開始








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石積みの土台を発見しました。これはもしかするとかつての路盤に関係するものである可能性があります。若干小さいようにも感じましたが、この時の路線規格は軌道線で、軌間は762mmであるので、一応問題はないかと思います。(→これについては【後編・考察編】にて触れていますのでそちらまでお待ちください。)
石積みの土台を発見しました。これはもしかするとかつての路盤に関係するものである可能性があります。若干小さいようにも感じましたが、この時の路線規格は軌道線で、軌間は762mmであるので、一応問題はないかと思います。(→これについては【後編・考察編】にて触れていますのでそちらまでお待ちください。)



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