この記事は「新京成電鉄 藤崎台支線」の事前補足記事となります。ここでは、新津田沼界隈の駅移転歴について簡略にまとめてあります。

新津田沼駅の変遷

 新京成の南側ターミナル駅である新津田沼駅。開業後現在の位置に落ち着くまで三度も移転を繰り返しています。
1947年12月27日  初代駅開業
 新京成線の開業始発駅として【初代:新津田沼駅】が開業。現在駅よりややJR津田沼駅寄りの位置に置かれました。路線は払い下げを受けた陸軍鉄道連隊常設線の軌道敷を利用して開通させたため、1067mm軌間をそのまま採用し、薬園台駅まで開業しています。

1953年11月11日  2代目駅開業
 この前年、地方鉄道法の改正によりそれまで禁止されていた 1372mm軌間(軌道法による通称:馬車軌)が認められ、親会社・京成に揃える形で改軌、さらに京成津田沼駅への乗り入れを行うために前原~京成津田沼の間をショートカットするように新線を敷設、その線上に初代:新津田沼駅を移転させました→【2代目:新津田沼駅】。初代駅からはかなり東側に移設されたこの2代目駅、わざと国鉄津田沼駅から離れた位置として、津田沼で乗り換える客を親会社の京成に集めようとするつもりだったとも言われています。
 ちなみに敷設された新線のうち、新津田沼~京成津田沼の区間は京成津田沼駅の構外側線扱いでした。何故なら新線開通と同時に、付近にあった元鉄道連隊の車両工場を京成が利用して津田沼第2工場を建設し、京成の車両がこの工場へ出入りする時にも利用したからです。この事から、駅そのものが移転した今でも新京成の0キロポスト(=起点)は新津田沼駅に設置されています。

1961年8月23日 3代目駅開業(初代復活)
 2代目駅から2年後に新京成は松戸まで全通しましたが、この頃盛んだった沿線への大規模団地誘致に際し、2代目駅が国鉄津田沼駅との乗り換えに不便であることから移転要請を受け、隣の前原駅から路線を分岐、再び初代の路線を復活し、初代の位置に【3代目:新津田沼駅】を開業させました。この時同時に2代目:新津田沼駅は【藤崎台駅】と名前を変えました。この為、新津田沼行きと藤崎台経由京成津田沼行きという2つの運転区間が生まれることになりました。
 なお、どちらの駅も京成津田沼第二工場へ側線で繋がっていました。またこの時期に新京成は親会社・京成の都営地下鉄浅草線乗り入れに合わせて再度1435mm軌間へと改軌を行います。ちなみにこの改軌は京成の改軌工事へ向けての実験も兼ねたものでした。
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初代:新津田沼駅と3代目:新津田沼駅の跡地。現:新津田沼駅から松戸寄りに進むと右手に見えるブロック塀を挟んで線路に沿った形の契約駐輪場がそれです。
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左手奥に伸びている側が元ホーム、右手側の土地が元駅舎ではないかと推測しています。


1968年5月15日  4代目駅開業(現在駅)
 「新津田沼行」と「京成津田沼行」の2つ系統があるのは紛らわしいとの声から、藤崎台駅を通り京成津田沼へ向かう路線を廃止して、3代目:新津田沼駅をやや移動させ、強引に京成津田沼駅と繋げる形で現在線を開業させました。その結果生じたのがこの区間名物のS字カーブです。この時藤崎台駅の南側にあった千葉工業高校の移転跡地を利用し、【4代目:新津田沼駅】が完成しました。
 この現在駅は初代・3代目よりも京成津田沼側に移動したため、初代・3代目の新津田沼駅と比べ、国鉄と新京成電鉄の乗り換えは遠くなりましたが、乗り換え通路はその後ビルが立ち並び、津田沼のメインストリートになりました。
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1968年から今の位置にある現:新津田沼駅(4代目)。かつては上のビルは無く、上下線のホームは地下通路で連絡していたとの事(痕跡が無いか今後調べてみます)。
ちなみに最近になって構内にそば屋が出店。唐揚げ蕎麦が食べられるようになりました。

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新津田沼近隣施設配置図

本編記事では現在駅完成に合わせて廃止になった「幻の区間」を探索しています。