7年間しか存在しなかった都会の廃線跡。「無いようで在る」痕跡探しの散策です。


微妙に残る痕跡

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五反田駅から池上線に乗車。
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雪が谷大塚駅で下車します。
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反対方向ですが少し寄り道して雪が谷検車区へ行ってみます。このあたりにかつては調布大塚駅がありました。今では池多摩系統の電車の拠点になっており、車輌が休んでいます。(7700系格好良すぎる…)
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新奥沢線は雪ヶ谷駅から分岐していました。1923(大正12)年に池上電気鉄道雪ヶ谷駅として開業した当時の駅は現在駅より約百メートル五反田寄りだったと言われています。
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かつての分岐周辺に来ました。
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蒲田方に今の駅がありますが、上下線の膨らみから何となくここに駅が在ったというのが分かります。
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踏切横に用地が残っていました。1933(昭和8)年に雪ヶ谷駅と調布大塚駅とを統合して現在の位置に移設しています。1935年(昭和10)年の廃止までは現在地から新奥沢線が分岐していたはずですが、どのように変遷したのかははっきりとしていません。
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駅前の通りを新奥沢線はどこかで中原街道を横切っていました。写真は推測地点のものです。
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路地を路盤跡方向へ進んでいきます。目印が少なくて面倒です。
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廃線跡沿いの道へ到着。線路跡自体は宅地であるため、ここの探索の時とすっかり同じ感覚になります。(路線の意図や短命さ、盲腸線である事なども一致してますネ…)
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地図上で見ると分かりやすく宅地の並びが出来ています。
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唯一の途中駅・諏訪分駅の跡地の部分の路地がぷっくり膨らんでいるのが確認できます。
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「鉄道廃線跡を歩く」に記載されていた駅の配線図を参考に当時の諏訪分駅を描写してみました。点線部は複線時代を、実線部は単線時代を表しています。7年の短い生涯の大半は単線の交換駅と言う形であったと言われています。
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ホーム跡の分膨らんでいる路地の様子。
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宅地に分譲された線路跡の横を進んでいきます。周囲に宅地が無く、諏訪分からの学生輸送程度しかなかった新奥沢線が廃止された直後から、この辺の宅地化が進んだというのにアイロニーを感じます。
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諏訪分駅が最寄りであった調布高等女学校の敷地は今でも田園調布学園として学校の機能を果たしています。裏手を線路は抜けていきます。
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右の茶色系の家が線路敷です。お洒落で静かな高級住宅街世田谷であるので、探索者の不審人物度が増してしまいなかなか居辛い?…
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振り返ると良い感じに線路幅が分かりました。
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開業当時は何もない場所であったため、ひたすら真っすぐ続いています。
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良い感じの柵。
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駐車場になっている場所を発見。廃線跡がそのまま駐車場だと住宅地図を見なくともその場で分かりやすいので助かります。
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なんだかただのお散歩みたいになってきてしまいました。
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もし、トレースする道路が分からなくなったり、頭がこんがらがってきたら一度環八に出て頭を整理しなおすと良いでしょう。
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さて、再び廃線跡方面へ復帰します。
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最後に線路はカーブして終点の新奥沢駅に突っ込んでいました。
せっかくなので自分でどこが線形が探してみてください…(曲線を引くのが面倒だった)

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この駐車場が新奥沢駅前広場跡であるはずです…(東玉川2-40-13)
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あ、ありました。これが確認できたところで無事探索完了です。
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最後は奥沢駅まで歩いて終了です。

 ウィキ先生の文章を参考にすると、新奥沢線の廃止2年前の1933(昭和8)年当時で運行間隔は午前4時50分から翌日午前0時50分まで、8分ないし16分間隔・全線3分であったそうです。廃線後に急速に宅地化が進み、今では並行する環八ではバスが行き来していること、現存する各駅が中途半端に離れてしまっていることを鑑みると、やり方次第では決して不要な赤字盲腸線にはならなかったのではとも考えられますが、後知恵で語っても意味がないので妄想程度でとどめておくことにします。


探索終了。