下町に残る貨物線の風情。
中千住駅、東武千住線
東武鉄道の中千住駅は伊勢崎線の牛田〜北千住間に1924(大正13)年に設置された駅です。当初は千住駅という名称で、1930年に中千住駅と名前を改めたが、1945年に営業を休止し1953年に廃駅となりました。その後は信号場→分岐点と形を変えながらも伊勢崎線の貨物支線である千住線の分岐点として、千住線が無くなる1987年まで営業しました。
探索
先ほどの千住大橋から一駅、関屋駅で下車。
改札を出ると目の前に東武伊勢さk…スカイツリーラインの牛田駅があります。駅名は異なりますが実質乗り換え駅であり、連絡運輸も行っています。
関屋駅と牛田駅に挟まれた駅前の通りを千住方面へ曲がり、墨堤通り(都道461号)まで出ます。
東武線の線路沿いに歩くとすぐに行き止まりの留置線が現れます。
道の向かい側は京成線。ここにいるとひっきりなしに電車が往来します。
関連企業の用地から振り返った先、道を直線状に横切った先には意味深な橋と柵が…

横断歩道から道を渡って近づくと…


!!!!!!!!!
道路を越えた先はなんと線路が残存していました。上の京成線(地味に3668…)をくぐった先がヤードなのですが、産廃処分場の敷地になっており、立ち入ることは出来ませんでした。
※この路線は岡田商事さんの専用線である事が判明しました。本来の千住貨物線ではありません。(2017.7 追記)
隅田川で荷物の積み降ろしをしていたそうなので、そこにも痕跡が無いか探します。当然河原は改修されてるので、ここに貨物ヤードがあった痕跡は全く見出せませんでしたが…?…あ!(画面左下)
工場の周りの壁を支える支柱?のような形で古レールが利用されているのを発見!
字が刻まれているようなレールが無かったため分かりませんでしたが、恐らくここで使われていたものだと思われます。(他所からわざわざ持ってくるとは思えないので…)
見つけたレールの手前側にも同じレールが数本残っていました。
来た道を戻ります。この道も千住線の一部だったそうです。
確かに道が二手に分かれて線路をアンダーパスするのには違和感があります。
(2020/7/19 追記:ここは千住貨物駅に出入りするためのトラックが通る道路だったそうです。)

(2020/7/19 追記:ここは千住貨物駅に出入りするためのトラックが通る道路だったそうです。)
関屋駅に戻って探索は終了。次の探索スタート地点、白鬚橋まで歩きます。
探索終了。
探索終了。
おまけ
…となるはずだったのですが、どうしても工場内部が見たかったので、京成電車の中から通過する瞬間を捉える事に。しかしカメラは携帯のカメラ。関屋→千住大橋は案の定ブレてしまい、次がラストチャンスと戻りに賭けると…
なんとか撮影に成功しました。工場内で繰り広げられているヤードの分岐と保存されている車両を写真に収められました。
この車両は国鉄の郵便車スユ37であるそうで、車体をカットした状態で倉庫や作業小屋として使われているそうです。(カットされていたからか把握できませんでした)ちなみに車番は2002か2004か3004と諸説があるそうです。いずれにせよ貴重な保存車両です。
(2017/6/19 郵便車の正体が判明したため修正)
(2020/1/25 一部画像差し替え)
(2017/6/19 郵便車の正体が判明したため修正)
(2020/1/25 一部画像差し替え)
写真:特筆事項が無いものは全て筆者/同行者による撮影
執筆:三島 慶幸
執筆:三島 慶幸
コメント
コメント一覧 (4)
>>2
情報ありがとうございます。確かにここは線路じゃありませんね…完全に早とちりしていました!
今度もう一度、改めてゆっくりと探索したいと思います。拙作でありますが、今後とも弊サイトをよろしくお願いします…!
と記載されている場所は、むかしから道路です。線路ではありません。
高さをよく見てください。鉄道車両が潜れる高さではありません。国土地理院の空中写真でも、このガードは千住貨物駅に出入りするためのトラックが通る道路で、線路が潜っていた時代はありません。ずっと道路です。線路が潜っていたのは、一つ西側のガードです。
駅の廃レールや使われなくなった車両が残っていたというのはとても意外でした。千住周辺は電車で通ることがよくあるので、時間があったら今度見に行きたいと思います。