都電は一部の専用軌道を除いて道路上で運行していたため、跡はほとんど道路に埋もれてしまい現存していません。しかしそんな中でもいくつかの場所には痕跡があります。ということで今回はその中から4箇所を探索してみました。

東京都電

 おそらくその名を知らない人は居ないであろう「都電」。その名の通り東京都、東京都交通局が運営している路面電車のことで、現在では三ノ輪橋と早稲田を結ぶ荒川線のみが運行されていますが、戦後の最盛期には総延長213km、40近くの運転系統が23区中に張り巡らされ、日175万人が利用する日本最大の路面電車でした。しかし1960年代後半から急速に始まった自動車社会の進展や営団・都営各地下鉄網の発達によって採算性が悪化、1974年に荒川線の存続が決定した他は廃止になりました。多くの系統は現在も都営バスの路線として引き継がれています。路面電車であるため基本的に痕跡はありませんが、いくつかの箇所では少しだけ軌道の存在を示す証拠が残っています。今回は中でも小粒なネタを集めてみました。


大久保車庫回送線専用軌道跡

路線データ:角筈線
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 日本有数の繁華街である歌舞伎町。その中の新宿ゴールデン街の裏手にある「新宿遊歩道公園『四季の路』」は、靖国通りから大久保車庫に向かう回送線用専用軌道の跡です。ここでは当初角筈線の営業路線が運行されていましたが、戦後すぐに明治通りから四谷三光町交差点で靖国通りに入る路線に付け替えられ、従来の同区間は翌年より回送線専用軌道として利用されました。
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(↑都電廃線前の地図。すでに線路は切り替わっているが「花園神社」の文字のあるあたりにはっきりとその線形を見出すことが出来ます。)大通りから離れていたため回送線にされてしまっていたこの区間ですが、それが幸いしたのか13系統そのものが廃止された1970(昭和45)年3月27日以降も路盤が残り、跡地はそのまま今の遊歩道公園に再利用されました。
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日本有数の繁華街、歌舞伎町の中に廃線跡は残っています。
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 旧:角筈電停の周辺。今では想像もつきませんが、この通りに路面電車が走っていました。
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交差点を少し進むと左手に件の遊歩道公園が出て来ます。
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 入ってすぐに気になったのは石畳ではなく隣の建物沿いの壁。遊歩道を整備したときの物ではない→都電時代のままのような気がします。
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 線路が敷かれていたような感覚を感じるのは石畳そのものというより横の建物の並び?といった風景。それでも雰囲気は十分です。
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ほらやっぱり…?先へ進めど建物沿いには先ほどと同じコンクリの壁が続きます。
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中間地点ほどの場所で新宿ゴールデン街と交差します。
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とてもいい雰囲気の場所です。
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 遊歩道の道形とは似ても似つかぬ微妙な距離を置きながら横に付いてくるコンクリの壁。現役時代は複線であったらしいのでこの位置取りは本当に都電時代の物かも?
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どうやらここで立ち小便をすると人間ごと水洗されるらしいので十分注意しましょう。
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遊歩道の道が二股に分かれる部分が出て来ました。二つの道には路盤としてはあり得ない高低差があるため、遊歩道整備時にあえて作られたものだと思います。
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終盤に差し掛かると遊歩道が桟橋状になり、周辺の土地が一段低くなります。
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そしてコンクリの壁。やはりこちらが当時の物で間違え無さそうに思えます。そうすると、下の低い土地が当時の路盤なのかもしれません。
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あっという間に出口まで来てしまいました。
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線路はここから大久保車庫へと向かっていましたが、痕跡は完全に消えています。前後周辺には風俗店が軒を連ねており、パトカーが風景に溶け込んでしまっているあたりは流石歌舞伎町といったところでしょうか。一人で探索していた私が風俗店の呼び込みに声をかけられてしまうという一幕も歌舞伎町ならでは。

九段坂隧道跡

路線データ:九段線

 「九段坂」。急坂で九段の石段があったことからその名がついた坂道です。
明治40年に都電が開通した時には、電車がこの九段坂を登れなかったため、道路の南側の牛ヶ淵に一段低い専用軌道を敷設。その時に田安門の下を掘ったトンネルが都電に唯一存在したトンネルだと言われています。関東大震災以降、坂の勾配が改良され都電は通りの真ん中を走るようになり、トンネル区間は廃線になってしまいました。廃止が相当な昔の為痕跡はありません。
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坂の真ん中にある九段下駅入り口へ来ました。
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改良されたとはいえ、かなりの急坂です。
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田安門の近くへやってきました。下の水辺が牛ヶ淵です。牛ヶ淵の名前の由来は、坂を上るのに疲れて倒れた牛がここに落ちたという逸話からだそうで…こんなとこにも急坂を物語るエピソードが隠されていました。
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隧道のあったと言われる場所です。まるで坑口を埋め戻した跡であるかのような植生が見えます。本当にそうであるなら大発見ですが、どうでしょうかねぇ…
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トンネルのあった地点から牛ヶ淵を眺めます。ここに路面電車があったと言われても信じられないほどに痕跡はありません。
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関東大震災以降から廃線まで走っていた道路区間も確認しましたが、痕跡はありませんでした。


貴重な残存軌条

路線データ:錦町線

ここは初代・御茶ノ水電停方面の線路として開通したのち1907(明治40)年ごろに廃止されましたが、その後開業した錦町線として復活、1944(昭和19)年まで使われていました。東京都電(※)ではなくほぼ「東京市電」時代の遺構であり、廃止から70年以上経っていますが、なんと駅前に曲がる交差点の横断歩道の近くに線路が残っているのが確認できるのです。
※…都政施行は1943(昭和18)年
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車道の真ん中にあるため観察には十分気を付けましょう。
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ひょっとするとこの区間ではレールを一切剥がさずに舗装しているのかもしれませんが、いずれは再舗装されて見られなくなるでしょうから見学は早い方が良いかもしれません。
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(2019/12/15追記)お茶の水橋の修繕工事が実施され、2019年の11月末をもって見えていたレールは撤去されてしまいました。しかし、まだ橋の中にはいくつか埋まっているそうで、こちらに関しては保存の動きも少しづつですがあるそうです。こちらも近いうちに姿を見られるのでしょうか。
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(2020/1/26追記)ついに工事中の過程で大規模なレール露出が起こったということで現場に急行してきました。噂はかなり拡散しているようで多くのギャラリーで賑わっていました。
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車を利用し車道から最接近して撮影。(助手席より)
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石畳を拡大。長年手付かずで埋まっていた物を補強工事で取り出して撤去する事から、軌道部が橋の構造物と一体化していたのかなと考えられます。ちなみに御茶ノ水界隈では現在鉄道車道にかかわらず一斉に修繕工事を実施しており、御茶ノ水駅やニコライ堂まで工事中で、街全体が中々印象的な景色となっています。
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先程書いた通常時の露出部分は見えなくなっていました。ただカーブの軌条を見るに今見えている軌道部がこれまでの露出部の「残り」の部分であった事が分かります。
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一か所だけ少し崩された石畳。この記事を書いている頃にはもう撤去が始まっていることでしょう。
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都電の跡を継ぐ都バスと一枚。個人的には好みの西工車と絡めることが出来てとても満足です。
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とても貴重な光景を拝む事ができました。

短いですが、動画でもどうぞ。
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(2020/4/10追記)反対側の路盤も新たに露出されたため、取材してきました。(緊急事態宣言発令下のため自家用車にて訪問)
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これらの路盤については、無事に一部の保存が決定したようで一安心といったところです。
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少し離れた神田明神の入口の商店の軒先には、都電の電停標識が保存してあります。

真田堀跡専用軌道跡

路線データ:溜池線

 四ッ谷駅に程近い真田堀跡には、道路から一段下がった位置に軌道が独立して(専用軌道)設けられていた区間があり、ここではその廃線敷がそのまま残存しています。
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真田堀を埋め立てて作られた上智大学のグラウンドを挟んで「対岸」から外堀通りを眺めると、道路から一段下がった位置にスペースがあることが確認できます。ここに当時、専用軌道が敷かれていました。(引き続いて薄暗い時間帯の写真で見にくくなっています、ご了承ください。)
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真下のトンネルの通風口から漂ってくる丸ノ内線の匂いを嗅ぎながら対岸に回って来ました。残念ながら廃線跡には立ち入れませんが、歩道からグラウンド側を見下ろすと路盤を見ることができます。
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ああああ良い…
グラウンドの照明のお陰で、あたりが暗くなっているのにも拘わらず廃線跡を見ることができます。
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桜の木が植わっているため、春にはきれいな景色を楽しめると思われます。また元の路盤に関連しているのか、じっくり見ると所々には砂利っぽい地面があることも確認できました。
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軌道跡は緩やかな勾配を上っていき、程なくして道路と合流します。合流地点と思われる位置を振り返り撮影。
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ちょうど新宿区に入ったところで終了です。またここからすぐ先には旧御所トンネルの坑口があるので、こちらもあわせて回ってみるのも良いと思います。


この他にも、都電関連では城東電軌線跡などがより長く廃線跡を探索することができます。これらは内容も長くなりそうなので、独立した1本のレポートとして今後まとめていこうと思います。


探索終了。


本記事(連載の場合全編)での参考文献など(敬称略):
・宮脇俊三「鉄道廃線跡を歩く」(JTBキャンブックス)
・今尾恵介監修「日本鉄道旅行地図帳」(新潮社)
本記事中(連載の場合全編)で使用した地図・航空写真:
・国土地理院 地理院地図(電子国土web)(加工は筆者によるもの)
写真:特筆事項が無いものは本記事中(連載の場合全編)全て筆者/同行者による撮影
執筆:三島 慶幸