今回探索する区間は、これまで取り上げてきた廃線の中でも最も新しい部類で、現役時代に管理人も乗ったことがあるという数少ない廃線です。
京急線の踏切を渡ります。
細い道を進むと根岸線の高架が。
そしてその先には東横線の廃線跡があります。
この区間はJR横浜駅から眺めることが出来ます。東海道線下りの5・6番線ホームの戸塚方から見るとこのような感じです。(2019/10/14撮影)
廃線跡のガーダ橋。支えている橋脚も合わせて、普通鉄道にしては細身な印象を受けました。
この道より先は私有地であり立ち入りが許されていないため、ここよりも横浜駅よりへ向かうことは出来ません。
来た細い道を戻り、万里橋で帷子川を渡ってから浅山橋方面へ歩くと、再び根岸線が近づいてきます。東横線は桜木町まで根岸線とぴったり平行していたので、ここからは根岸線の線路を追えば良いのです。
歩いてきた方から見て奥が東横線の橋です。どちらの橋も意匠は異なるものの、鋼材の曲線が非常に美しいです。
ふたたび京急線を渡ります。
電車が頻繁に通過していきます。
東横線の高架。
この道の下は横浜市営地下鉄が走っており、地下で桜木町まで並走しています。
浅山橋交差点から眺めた様子。まだ早かったこともあって(日曜の朝7:00過ぎ)人はまばらです。
ということで石崎川沿いを通って迂回します。
路地から再び高架下へ向かいます。
高架下。老朽具合の進行が分かります。
さて、上り線と下り線の間に奇妙なスペースが…
そして奥には階段の跡が…
別の路地から先へ向かってみます。
区間唯一の途中駅、高島町駅跡が姿を現しました。
東京近郊民には馴染みの深い環状国道である国道16号の起終点と日本の大動脈である国道1号(東海道)が交わる高島町交差点を渡った先からは高架下を歩く事が出来ます。
この区間は高架橋の補修が済んでいるようで、上から塗装されています。
ところどころに古そうなものが見え隠れ…
桜木町6丁目交差点の高架橋。
踏切の寄り道が終わったらひたすら桜木町駅へ向かって歩いて行きます。
横浜市営バスに追い越されました。バスの塗色は市電時代からの伝統的な色で、とても好感が持てます。
紅葉坂交差点のところには美しい橋が残っています。一見下路アーチ橋に見えますが、アーチ部材と補剛桁部分がほぼ同じ厚みであるので、ローゼ橋と呼ばれるタイプの橋ではないかと思います。駅前には「東横線跡地」の文字がありました。
(2019/10/06 追記)
2019(令和元)年の7月、桜木町駅周辺のほんの一部のみが遊歩道として開放されました。
(解放区間は紅葉坂のローゼ橋までですので本当に「ほんの」一部ですが…)
ついに廃線跡に上がれるようになりました。
橋からの景色。横浜らしい坂の地形を眺めることが出来ます。
暫定開通ということで、横浜方は階段のみが整備されるに留まっています。
真っすぐに延びていく廃線跡。先に横浜駅の相鉄ジョイナスを望めます。ここもいずれ遊歩道として整備されていくわけですが、今しか見ることが出来ないこの未整備の光景に哀愁を感じました。
距離も短く、階段のみの整備であることから利用者は少なめで今はひっそりとしている横浜方の出口(仮出口?)。廃れたままの景色は私の好みではありますが、何らかの形で再利用され「道」として社会に貢献する姿には期待したいと思います。
後編(横浜~東白楽)に続く
新線に役目を譲った路線
1926(大正15)年に、東京横浜電鉄が丸子多摩川駅(現・多摩川) ~神奈川駅間を開業。その後渋谷まで開業させ路線名を今の「東横線」と命名、その翌年には神奈川駅~高島(高島町)駅、1932(昭和7)年には 桜木町までが開通しました。 変化が起こるのはそれからしばらく経った1965(昭和40)年、今で言うところのみなとみらい地区の再開発構想が立ち、東神奈川駅から国鉄横浜線を介してこの再開発地区を結ぶ新線の計画が立ちました。しかしこれが国鉄末期の財政問題により中止され、その代替としてこの路線との直通申し入れを東急が受けた事で、横浜駅から東急東横線への直通と計画が変更されました。これが現在の横浜高速鉄道みなとみらい線であり、同時に横浜~桜木町が廃止の対象になることを意味していました。
そして2004(平成16)年2月1日にみなとみらい線が開業するのに合わせ、同年1月30日をもって横浜~桜木町間(2.1km)の営業は終了しました。
この廃線区間は今も高架線がそのまま残っており、中でも根岸線と並走する区間(約1.8km)では、ニューヨーク市マンハッタンにある廃止された鉄道の高架部分に建設された空中緑道である「ハイライン」をイメージした遊歩道の整備が計画されています。この区間では高架線により分断されているみなとみらい地区と花咲町以西を繋げるために階段を設けるなどして周辺地域とのアクセス強化も図り、「魅力ある遊歩道」としての整備を行っています。(→同じくみなとみらい地区で廃線跡を遊歩道にした例)
この廃線跡遊歩道は2016年度までの整備を目指していましたが、予想以上に高架線が老朽化していたことから修繕に時間や予算などの手間がかかり、計画より5年先延ばしした2021年度を一つの目標として整備工事を行っています。今回はそんな都会に残る高架線を、綺麗に整備される前に訪問してきました。
未だほぼ手つかずの高架線
横浜駅を出て、帷子川のほとりへと向かいます。
京急線の踏切を渡ります。
細い道を進むと根岸線の高架が。
そしてその先には東横線の廃線跡があります。
この区間はJR横浜駅から眺めることが出来ます。東海道線下りの5・6番線ホームの戸塚方から見るとこのような感じです。(2019/10/14撮影)
廃線跡のガーダ橋。支えている橋脚も合わせて、普通鉄道にしては細身な印象を受けました。
この道より先は私有地であり立ち入りが許されていないため、ここよりも横浜駅よりへ向かうことは出来ません。
来た細い道を戻り、万里橋で帷子川を渡ってから浅山橋方面へ歩くと、再び根岸線が近づいてきます。東横線は桜木町まで根岸線とぴったり平行していたので、ここからは根岸線の線路を追えば良いのです。
歩いてきた方から見て奥が東横線の橋です。どちらの橋も意匠は異なるものの、鋼材の曲線が非常に美しいです。
ふたたび京急線を渡ります。
現役時代であれば京急線をオーバークロスする東横線電車を見ることが出来たでしょう。
電車が頻繁に通過していきます。
東横線の高架。
この道の下は横浜市営地下鉄が走っており、地下で桜木町まで並走しています。
浅山橋交差点から眺めた様子。まだ早かったこともあって(日曜の朝7:00過ぎ)人はまばらです。
ここから廃線跡の下をトレースしたかったのですが、工事現場になっており接近できませんでした。
ということで石崎川沿いを通って迂回します。
路地から再び高架下へ向かいます。
高架下。老朽具合の進行が分かります。
さて、上り線と下り線の間に奇妙なスペースが…
そして奥には階段の跡が…
別の路地から先へ向かってみます。
区間唯一の途中駅、高島町駅跡が姿を現しました。
東京近郊民には馴染みの深い環状国道である国道16号の起終点と日本の大動脈である国道1号(東海道)が交わる高島町交差点を渡った先からは高架下を歩く事が出来ます。
この区間は高架橋の補修が済んでいるようで、上から塗装されています。
ところどころに古そうなものが見え隠れ…
桜木町6丁目交差点の高架橋。
向こう側には踏切があります。
高島線の「三菱ドック踏切」。かつてここからの東海岸一帯は、「三菱重工横浜造船所」の敷地でした。踏切名にその名を留めています。
高島線の「三菱ドック踏切」。かつてここからの東海岸一帯は、「三菱重工横浜造船所」の敷地でした。踏切名にその名を留めています。
踏切の寄り道が終わったらひたすら桜木町駅へ向かって歩いて行きます。
横浜市営バスに追い越されました。バスの塗色は市電時代からの伝統的な色で、とても好感が持てます。
紅葉坂交差点のところには美しい橋が残っています。一見下路アーチ橋に見えますが、アーチ部材と補剛桁部分がほぼ同じ厚みであるので、ローゼ橋と呼ばれるタイプの橋ではないかと思います。
16号の「おにぎり」。ちなみに16号のような環状国道は2つしか存在しません。
(2019/10/06 追記)
2019(令和元)年の7月、桜木町駅周辺のほんの一部のみが遊歩道として開放されました。
(解放区間は紅葉坂のローゼ橋までですので本当に「ほんの」一部ですが…)
ついに廃線跡に上がれるようになりました。
紅葉坂交差点の橋も渡橋出来るようになっています。ちなみにこの橋の正式名称は「みなとみらい4号橋」だそうです。
橋からの景色。横浜らしい坂の地形を眺めることが出来ます。
暫定開通ということで、横浜方は階段のみが整備されるに留まっています。
真っすぐに延びていく廃線跡。先に横浜駅の相鉄ジョイナスを望めます。ここもいずれ遊歩道として整備されていくわけですが、今しか見ることが出来ないこの未整備の光景に哀愁を感じました。
距離も短く、階段のみの整備であることから利用者は少なめで今はひっそりとしている横浜方の出口(仮出口?)。廃れたままの景色は私の好みではありますが、何らかの形で再利用され「道」として社会に貢献する姿には期待したいと思います。
後編(横浜~東白楽)に続く
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