片倉ダム上流の山に入った我々は、トロッコが走っていたと考えられる「トロッコ谷(仮称)」を目指して進みます。
※本探索の「その1」はこちらのサイトの記事です。
遂に現れし谷

ナメ滝あああああああああああああ!(突撃滑走)

到達!

沢歩きが本格的になるため、ここで足回りを長靴に履き替えます。

冷たくきれいな水でお飲み物を冷やしてから出発(ここでは長いこと休憩しました)。

ほとんど写真がありませんが、ひたすら沢を遡上していきます。

多少のビーバーダム(木や岩石の集合体によった自然発生の堰)も、尾根越えを果たした我々には何の障害にもなりません。木々をよじ登り岩々を越えながら進んでいきます。
トロッコの痕跡、ここに現る。

谷の入り口から沢を歩くこと20分弱、トロッコの遺構は突然我々の前にその姿を現しました。

このような形で谷の淵の岩が削られている場所があります。(画像右下)
分かりやすい写真に線を引いてみたのがこれ。このように沢の対岸に窪みが並んでいます。トロッコはこの窪みを土台に木製の桟橋を掛けていました。(基本的にこの路線は沢の上に桟橋を掛けていたと思われます。)

それにしても、本当に規則的に窪みが空けられています。桟橋を掛けてまで敷設…というより、沢以外に線路を敷くスペースは無いに等しいので、これはある意味当然の選択なのかもしれません。

こ、これは…陶管!!!
陶管とは、排水用などに用いられた焼き物の管、つまり土管の一種。明治初期から使用され、煉瓦積みでは施工しにくい小口径管としてPVC管が普及する昭和40年代頃まで主流な管でした。
つまり、これは軌道の現役時代に何らかの目的で使われた物である可能性が非常に高いものです。

これら多数の発見によって我々の到達した谷がトロッコの谷であることが確定。安心感からか心持ち歩みを早めてこの谷の更に奥にあるという未知のトンネルへ歩みを進めます。

更に付近では木炭のようなものも発見。近くに炭焼き小屋でもあったのでしょうか。

最初のスタート地点の時点でダムより上流なため、終始手付かずの沢の水が心地良く流れています。

とてつもないビーバーが進む時々に沢を覆います。高さ自体は低いですが、腐った丸太の山なので気を付けないと思いがけない怪我をしてしまいます。

別の陶管片をアップで撮影。断面はまるで煉瓦のような赤色です。ちなみに陶管は全国の過半数以上を愛知県の常滑市で生産していました。その常滑焼特有の、鉄分を多く含む土の赤色が見えるので恐らくこの管もその類だと思われます。

更に進むと、数ある陶管の中でも一際大きなものを発見!

残部が多い分、「管らしさ」が分かりやすく、貴重な資料であるといえます。

時々綺麗な水を貯めたプール状の場所があるのですが、写真の場所は最も水の澄み具合と差し込む光のコントラストが美しいところでした。手付かずの自然といった感じです。(軌道が敷かれていた時点で手付かずとは言えない…)

このプール内には一匹の蛙が泳いでいました。他には川ハゼの姿も。ちなみに今回の探索で動物を見たのはここと後述のトンネル内のコウモリだけでした。

沢の高低や段差によっては1枚岩の地面に穴を開け、ここに木製桟橋の脚を差し込んでいました。最初の桟橋の痕跡である岩の削り跡と共に、今後の小坪井軌道探索において路線の有無を判断する重要なアイテムになります。
現在地はここ。地図をみれば分かると思いますが、ここから先には大きな蛇行があり、軌道はその部分の尾根に切通を設けてショートカットしていました。

越えたトロッコ由来の尾根を振り返って抜けた切通を振り返って撮影。抜けた先は平場です。

平場の様子…っておいおいおい!そこの木に書いてある「ほ2」って?!
ここ、まだ人が出入りしてる…??
切通しを抜ける前に平場があった事をすっかり書き忘れていましたので書き足させて頂きます。木炭のようなものが転がっていたと先ほど書きましたが、ここには炭焼き小屋があったと考えられる痕跡がありました。
このように土台が残っていました。
(この点については次記事でみっちり指摘されてしまいました…)
(※以下、追記)


(この点については次記事でみっちり指摘されてしまいました…)
続く
(※他サイトへ飛びます。)
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