奥ゆかし廃探索記

 「奥ゆかし」の元の意味は、奥+ゆかし(行かし)で、「ゆかし」は見たい、知りたい、聞きたい、そして心惹かれるという意味合いを持っています。すなわち「奥に行きたい、より奥が見たい、心惹かれる…」そんな廃線、廃道、廃墟探索的な「廃」物件の探索などをメインに、さまざまな情報をだらだらと気楽に記録していくサイトです。

タグ:廃線

安房小湊駅周辺では路盤工事が行われ、およそ1kmが建設されたようです。今回はその痕跡を探索していきます。 ...

 都電は一部の専用軌道を除いて道路上で運行していたため、跡はほとんど道路に埋もれてしまい現存していません。しかしそんな中でもいくつかの場所には痕跡があります。ということで今回はその中から4箇所を探索してみました。 ...

 成田線の笹川駅。1931(昭和6)年に佐原駅から同駅までが開通したのと同時に、入正醤油の醤油蔵までの専用線(0.7km)が敷設されました。 この専用線では約30年ほどの期間、醤油の運び出し、及び材料の運搬が行われましたが、この手の専用線のお約束と言える話、1960年代から ...

 ちょうど1年ほど前に公開した「久留里線 小櫃駅周辺旧線」探索。この時の探索では、旧線の路盤や橋脚を見つけたものの、線形を変更したという0.1Kmの短縮区間を完全に特定することは出来ませんでした。今回の記事はそんな探索にケリをつける内容となります。 ...

 国鉄から引き継がれた第三セクターの天竜浜名湖鉄道が東海道線と結んでいる町、天竜二俣。そんな二俣町までにはかつて、開業わずか6年で廃止に追い込まれ消えて行った「幻の鉄道」がありました。 ...

 福島県の太平洋沿いを走る常磐線。海辺に迫り出た大小様々な丘陵を越えるためのトンネルが多数掘られました。 ...

 太平洋戦争末期に本土最南端の特別攻撃隊(特攻)の出撃地となった事でも有名な知覧。今では鉄道が無く、交通アクセスが難しい場所になってしまいましたが、ここには災害で散ってしまった悲運の鉄路が存在しました。 ...

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